ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

大麻の話 ①

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プラハにて

 

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大麻を吸ってみたい。

なんて言っているとヤバい人だと思われるんだろうか。先日カナダで大麻が全面解禁されたこともあって、ニュースでも今までタブー視されていた大麻トークを耳にすることが多いから、もう問題発言と思う人も少ないかもしれない。でもどうなんだろう。わからないけれど僕は割と口にする。大麻吸ってみたい。

 

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とは言え、日本の法律ではまだ大麻は違法薬物だから僕は吸わないし、吸う気もないし、そもそも手に入れる方法も知らない。大麻が持つ人体へ害がアルコールやタバコよりもずっと低くて、それがカフェイン程度だという研究結果が出ていても、それが違法である限り吸わないと思う。

ただ、どうして今でも違法薬物なのかは気になるし、盲目的に「法律で決まってるからダメなものはダメなんだよ」とか「わざわざ気持ち良くなる物を解禁しなくてもいい」とか言う人への若干の違和感も感じている。

ということで最近大麻について色々とネットで検索している。パソコンの検索履歴だけ見たらなかなか危ない人だけれど、それでも大麻の歴史や大麻が規制されてきた流れを調べるのは面白い。偏りこそあるものの、まるで近代史の授業みたいだ。

 

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それにしても僕たちは大麻について詳しいことを知らない。

違法薬物だし大麻解禁を議論することもタブーとされてるから当然と言えば当然なのか。でも、かつて日本人は大麻と非常に密接な関係を築いていた。

神道では大麻(おおぬさ)や注連縄(しめなわ)などなど様々な神具に使用されてきたし、戦前までは教科書でも栽培方法が記載されていたほどで、麻は日本において重要な産業だった。1940年には農林省が麻の流通を統制する一元機関を設立したほどだ。大麻はとても身近な存在だった。それは国外においても同様で、19世紀までは世界にある繊維の3分の1は麻だったという。

それが大きく変化したのが20世紀に入ってから。日本では敗戦後の1948年、日本を占領統治したGHQが強制的に押し付けた大麻取締法の制定がターニングポイントで、それ以降大麻=麻薬といった認識が広まることになる。つまり大麻を悪とする考え方は70年前に突如として植え付けられた倫理観ってわけだ。

ちなみにそれまで日本では大麻は繊維素材や喘息の薬であって、吸引して気持ち良くなるなんて発想はなかった。それでもアメリカは大麻を吸引する事はもとより、栽培や所持も徹底的に処罰の対象とした。結果として日本の大麻産業は壊滅し、麻製品は姿を消すことになった。(日本で麻として流通している繊維のほとんどはリネンであって本来の大麻ではない)

 

ではどうしてそこまでしてアメリカは大麻取締法を制定させたのか。

それを考えるにはまずアメリカでの大麻の取り扱いを整理していく必要がある。

 

まず大麻の前に少し禁酒法の話。

アメリカでは1920年から1933年まで現代では悪法として名高い禁酒法が施行されていた。禁酒法を推し進めていたのは規律を重んじる敬虔なキリスト教保守派で、禁酒法は彼らのクリスチャニティーの押し付け的なものだった訳だけど、結局非合法な酒が出回ることによってギャングを巨大化させてしまい、あっけなく1933年に廃止となる。

そしてその4年後の1937年、アメリカの連邦法で大麻が違法とされる。アメリカ政府は『リーファー・マッドネス 麻薬中毒者の狂気』(1936年)という映画を作るなどして反マリファナキャンペーンを大々的に開始するのだけど、その目的の一つには禁酒法が廃止されたことによって仕事を失った警官に仕事を与える必要があったからだという(ほんとか?)

でも、さらに大事な理由は別にある。それは移民問題。当時のアメリカには安価な労働力としてメキシコ移民が増えていて、それがアメリカの雇用を不安定にしていた。メキシコ人は大麻をよく吸っていたから、大麻を規制することでメキシコ人を捕まえ排斥するという目的があった。大麻の取り締まりが禁酒法の代替と考えると、いかにもアメリカの保守系白人が考えそうな方法だ。実際、少量の所持でも終身刑になっていたというから白人の人種差別意識って怖い。

 

そんなこんなで10年後、第二次世界大戦も終わって日本を占領統治したGHQは自身のキリスト教的価値観、そして人種差別的偏見からくる大麻取締法を半ば強引に制定する。駐留するアメリカ兵がその辺に自生している大麻を吸わないためにも大麻取締法は早急に制定されたらしい。そして日本の麻産業は壊滅する。

 

さらにここで見え隠れしてくるのが石油利権の問題だ。

 

20世紀は石油の時代だと言われることがある。麻に替わってポリエステルやナイロンといった石油から作られる化学繊維が主流になって、さらに石油からはプラスチックが作られ、そこから数々の環境問題も生まれた。僕たちが飲んでいる西洋薬品もほとんどが石油から作られた化学合成品だし(知らなかった)、言わずもがな石油は数多の戦争を引き起こしてきた。間違いなく20世紀は石油に振り回されている。

そんな石油、石油業界が恐れているのが大麻なんだという。大麻は栽培も簡単で繊維として優れている上に、あまり知られていないけれどプラスチックを作ることもできる。もちろん天然由来だから環境に優しい。さらに医療大麻アルツハイマーうつ病、癲癇や気管支喘息など約250種類の疾患に効果があるとされる万能薬だ。そんな万能な大麻が石油に取って代わることを防ぐために、石油業界は圧力をかける。その結果として多くの国では大麻=麻薬の認識が定着して、日本をはじめとする多くの国で大麻は違法なまま、栽培や研究すらさせてもらえないのが現状だ。ってこれはどこまで本当の話なんだろう。

ちなみに史上最大の資産を持つ男と言われている石油王のジョン・ロックフェラー(-1937)はキリスト教保守派のバプテスト信者で、酒もタバコも嗜まなかったんだそう。きっと大麻も嫌いだったんだろうな。

 

石油業界の圧力もあって規制されてきた大麻だけれど、60年代に入るとリベラルな若者、つまりヒッピーの間で大麻は広がり始める。

ベトナム戦争反対を訴え、愛と平和を掲げる反体制的な若者を取り締まる目的で「War on Drugs」の名の下に大麻撲滅に乗り出したのが時のニクソン大統領。国にとって目障りな分子を大麻で取り締まるって、やってることが30年前と変わらないのが凄い。ただここで誤算が生まれる。

ニクソン大統領は大麻がいかに有害なのかという裏付けを得るために「マリファナ及び薬物乱用に関する全米委員会」(シーファ委員会)を開催したのだけれど、委員会が出した最終報告は「大麻の使用は、暴力的であれ、非暴力的であれ、犯罪の源とはならず、犯罪と関係することもない」というものだった。大誤算。ニクソン大統領は意に反した結果報告を受け取らなかったという。まるで子供。

 

それから40年近くが経った現在、アメリカではワシントン州をはじめとするいくつかの州で嗜好品としての大麻が合法になっている。その背景には税収源の確保や、麻薬カルテルの資金源を絶つ目的があるけれど、それって本当に禁酒法みたいだなと思う。歴史に学べてない。

 

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ちなみにこれはネットから拾った画像だけれど、左が大麻の解禁状況で真ん中が政党の勢力図、左がオピオイド鎮痛剤(オピオイド - Wikipedia)の処方箋発行数。比べてみると非常に似通っているのがわかる。トランプ支持の地域は保守的でキリスト福音派も多いから大麻の解禁が遅れてるわけだけれど、これを現在アメリカで大きな問題になっているオピオイド問題と絡めて考えると凄く興味深い。

オピオイドに苦しんで違法ドラッグに手を出してしまっている人ほど、本当は医療大麻や合法大麻救われる可能性があるのに

合法大麻は米国をオピオイド危機から救うか? 研究が可能性を示唆 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

そんな人(低賃金の労働者が多い)が住んでいる地域ほど保守的でトランプ大好きで大麻が解禁されてないという現状。なんとも世の中はうまくできてない。

 

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と、長々書いてしまったけれど、これってどこまで本当の話なのかよくわからない。石油業界の陰謀論とか。全部ネット情報だ。

でも大麻(そしてアメリカ)って本当に面白いなぁ。大麻を軸にアメリカの近代史を学ぶカリキュラムが組めそうな気がする。

 

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いや、違う、実は今日書きたかったことって本当はこんな話じゃない。

ただ今回は長くなってしまったから、続きはまた今度書こう。

蚊 本 鬼太郎

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夜中に電気を消すと蚊の飛ぶ音がする。

10月に入ったのに蚊だなんて、と思うも昼間の気温は30℃に達して全国各所で季節外れの真夏日。まぁ蚊が出るのも無理はないかと諦め気分で電気を点けても、蚊の気配はない。耳をすませど羽音は聞こえず。で、電気を消してしばらくするとまたブーン。慌てて電気をつけると気配は消えて、また静寂。そんな事を何度か繰り返してるうちに目は覚めてしまい、もうこの蚊は幽霊なんじゃないか、電気を点けると姿が見えなくなるのは幽霊だからなんじゃないか、と阿呆なことを考えているうちに、ふと昔そんな内容の短編小説を読んだことを思い出す。

 

夏のある夜、幽霊の出ると有名な旅館に行って怪奇現象を楽しみに待つも、結局朝になっても幽霊は出てこない。幽霊は見れないし蚊には刺されるし散々だよ、と旅館の女将に話すと女将は、やっぱり幽霊は出たじゃないか、と言う。ここら一帯は農薬の影響で蚊が出ないんだよ。

あぁ、確かにあんなに蚊に刺されたのに、刺された跡が一つもない。

 

という話。ただ、この話が誰の書いた短編なのか全く思い出せなくて、今度は蚊よりもその事が気になって眠れなくなる。こんな時はネットだ!と、Googleで調べてみると「蚊の幽霊」の関連ワードに『銀魂』が出てくる。いや銀魂は読んだ事ないぞ、違う違う。と色々ワードを取っ替え引っ替えして調べてみると、どうやら小松左京の『午後のブリッジ - 小松左京ショートショート全集〈5〉』に収録されている『幽霊』という短編に蚊の幽霊が出てくるらしいけれど、でもAmazonで表紙を見る限り『午後のブリッジ』も読んだ事ない。どういうことだ。

じゃ誰かからの又聞きなの?それとも小松左京の別の短編集にも収録されてるの?と気になり出したら止まらなくて、家にある小松左京を片っ端から引っ張り出して調べて見ると、あった。『一生に一度の月 - ショートショート傑作選』。これに『幽霊』が収録されていた。あースッキリしたー。

で、随分と遅い時間に就寝。 自分は時間を無駄にして生きていると思う。

 

朝になって目覚めると、足がかゆい。 あぁ、蚊のことをすっかり忘れてた。

しかも、どうやらあの蚊は幽霊じゃなかったらしい。

 

ちなみに、秋になっても生き残っている蚊のことを「哀蚊」と呼ぶんだそう。昔読んだ小説に書いてあった。

ん、あれは誰の小説だっけ。

 

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そういえば最近、本をあまり読んでいない。昔から読書家というわけでもなかったけれど、今に比べれば随分読んでたように思う。最近ではいわゆる「積ん読」が多くなって、読んでない本だけが無駄に溜まっていく。どうも読書に集中できない。

そんなこともあって近頃は漫画を読み始めてる。今は水木しげる先生の諸作を色々と。今まで知らなかったけれど『ゲゲゲの鬼太郎』って連載誌や時代によっていろいろなバージョンがあって凄く面白い。70年代後半に『週刊実話』で連載されていた『ゲゲゲの鬼太郎 - 青春時代』なんかは、鬼太郎はあんまり妖術を使わないし、話のタイトルも「チンポコ紛失の巻」とか結構ふざけてる。と思いきや中には社会風刺的な話もあったりするから油断できない。魅力的。これからしばらくは水木作品に取り憑かれてしまいそう。

 

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一生に一度の月 (1979年) (集英社文庫)
 
晩年 (角川文庫)

晩年 (角川文庫)

 

 

 

 

 

自然災害と神様の話

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9月になってから天気のせいか気圧のせいか、体も頭も動きが鈍い。
夜のランニングもサボり気味で、今月はまだ三回しか走っていない。一週間走っていないとランニングで使っているアプリからメールで届くフィットネスレポートに、大きく「今週はご一緒できませんでしたね!」と書かれてしまう。よく出来たアプリだ。思わず「ごめんーm(_ _)m 雨の日が多かったからどうしても。来週こそは一緒に!」なんて返信したくなる。恋愛の一歩手前な関係性が臭ってちょっと楽しい。
どうやら本当に頭が鈍ってる。

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それにしても自然災害が多い。
やれ地震だやれ台風だと、次から次に押し寄せてくる。国土面積からしても、これだけ自然災害が集中している国は珍しい。世界広しといえどもトップクラスなんじゃないかと思う。外国の人はきっと思うに違いない。どうしてこんな土地に住んでいるんだ、と。台風の進路や活断層マップを見てもこの国が地理的な欠陥を抱えているのは明白だ。でも、だからといってこの国を去ることができるかと問われれば、いや、それは無理。産土(うぶすな=生まれた土地のこと)ってそんな簡単に捨てられるものじゃない。
人類がアフリカで誕生したことを考えると、日本は長い旅の果てにたどり着いた安住の地だ。アフリカからユーラシア大陸に渡り、シルクロードを東の果てまで進んで、さらに海を渡った先の島、それが日本。そうやって安住の地を求めてたどり着いたこの場所が、こんなにも自然災害が多かったというのはちょっと残念な話でもある。その結果として日本人は自然と向き合って生きざるを得なかった。多くの日本人が持つ宗教観がヨーロッパのような唯一神的なものではなくて、自然宗教アニミズムの流れを持つ多神教的なものだというのも、つまりはそういう事なんだと思う。よく言われる、農耕民族だから〜、といった理由だって要は同じことだ。人類の旅の最後に行き場をなくした僕たちの祖先は、どんなに自然災害が多くてもこの土地を愛するしか道が無かった。この場所で畑を耕すしかなかった。

よく海外の映画や小説を読んでいると登場人物が気軽に住む場所を変えるので驚くときがある。ミュージシャンとかもそうだ。ニュージャージーからブルックリンみたいな引越しなら距離的にも意味合い的にも納得しやすいけれど、ニューヨークからパリだの、ロンドンからシドニーといった距離をさらりと引っ越してしまう。これって日本人には難しい感覚だと思う。

日本人は土地に執着が強い。それも自分が生まれた土地に。産土信仰というものがあるくらいだ。その背景には、行き場をなくした僕たちの祖先が自然災害と闘い、あるいは神として崇めてきた歴史がある。多くの命を奪う自然、そしてこの土地が、一方で日本人を作り上げて来たんだな、と、そんな当たり前のことを災害ニュースを見ながらぼんやり考える。

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言わずと知れたジブリの傑作アニメ『もののけ姫』の終盤、主人公アシタカがこんなセリフを言う。
「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。生と死と二つとも持っているもの」
この言葉が、今すんなりと腑に落ちる。キリストは救う者だけれど、シシ神は奪いもする。もちろんそこに正解、不正解はない。
ただ単純に、多くの日本人にとっての神の在り方としては、それが「自然」だということ。『もののけ姫』の海外評価があまり高くないのって、その辺りの感覚の違いなんだろうなぁ。

このブログについて

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台風の影響か久しぶりに涼しい夜。
この夏、僕の住む街では49日間も熱帯夜があったそうだ。
それって、つまりこの街は熱帯地域ってことじゃないのか。

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ここからはこのブログについての話。
興味あれば。

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はてなダイアリーが2019年の春をめどにサービスを終了するという。

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海外の交通事情と映画の話

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先日、英誌エコノミストが発表した「世界で最も住みやすい都市ランキング」で、前年まで7年連続で首位だったメルボルン(オーストラリア)を抜いて、2018年はウィーン(オーストリア)が1位になった。今年ウィーンを観光した身としてはちょっと嬉しい。確かにウィーンは人も優しいし芸術に溢れているし、街の規模も丁度良いサイズ感でとても観光しやすい街だった。特に交通機関はすごく便利で市内の移動がとても楽だった印象がある。と言うより、便利すぎて最初はむしろ戸惑うくらいだった。

オーストリアへはチェコから列車で入国したのだけど、列車で国境を超えるのが初めてだったこともあって、ウィーンに着いて入国審査とかあるのかなぁ、ドイツ語だったら困るなぁ、なんてぼんやり思っていたのにこれがまったくの杞憂だった。ウィーンに到着して列車を降りてから改札を探して歩いていると、あろうことかそのまま駅の外に出てしまい、慌てて引き返すも改札はないという驚きの事態に。でもこの道が正規ルート。入国審査が無いのは大体の欧州間であれば当然らしいけれど(シェンゲン協定)、国際鉄道から降りた後に改札が無いのにはさすがに驚いた。これは地下鉄に関してもそう。
驚くことに市内を走る地下鉄の改札は、基本的には公園の入り口くらいの区分けしかされてない。自動改札は当然のように無い。横の方に切符を差し込むボックス(時刻が刻印される)が申し訳なさそうにあるけれど、そこに切符を差し込んでる人もほとんど見かけない。券売機はあるものの駅員は見当たらない。一応、車内で検札は行なっているらしいけれど、自分は3日間ウィーンにいて一度も検札されなかったし、されてる人も見かけなかった。トラム(路面電車)にいたっては、最後までチケットを買う場所すらわからなかった。
乗りたければ自由に乗って、降りたければ自由に降りて好きなところへ行けるのがウィーンの交通システム。住みやすい都市に選ばれるのも納得できる。このシステムは一見すると無賃乗車し放題だけれど、観光で訪れた人は最初に公共交通機関の3日通し券を買うだろうし、住んでる人は定期券を持ってる人がほとんどらしいし、さらに言えば駅員の数が少なくて済むからコスト面で考えても理にかなったシステムなのかもしれない。自動改札を設置しなくてもいいし。このシステム日本にも導入してほしいけど、さすがに無理だよなぁ。朝の通勤ラッシュ車内で検札するとか現実的じゃないか。

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ウィーンといえば。
前のブログで「ミッションインポッシブル」を観に行きたい、と書いていたけれど、映画館に観に行く前に過去作をおさらいしようと前作「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」をamazonビデオで観ていたら、ウィーンのシーンがあってテンションが上がった。しかもウィーン国立歌劇場が舞台になっていて、ここは数ヶ月前に中にも入ったところ。なんだろう、この観ている映画に行ったことのある場所が出てくるワクワク感。ウィーンなんてテレビ画面越しには今後何度も目にする街だろうけれど、実際行ったことあるってだけでテンションが上がってしまうから不思議。
で、そんなテンションが上がった状態で新作「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」を見に行ったら、今度はロンドンが舞台になっていて、あー!テートモダン行ったことあるー!とまたテンションが上がってしまった。一年前までは海外に行ったことがなかったから気がつかなかったけれど、なるほど、海外旅行をするとこんな映画の楽しみ方もできるのかと新しい発見だった。ちなみに「キングコング:髑髏島の巨神」は、去年行ったベトナムハロン湾で撮影されてるし、「ボーン・レガシー」の最後のシーンは話の中ではフィリピンだけれど、これも多分ハロン湾で撮影してる。「ボーン・レガシー」の方は知らずに見ていたからテンションあがったなぁ。
それにしても映画の趣味が小学生みたいだ。特に最近は頭を空っぽにして見られるエンタメ映画ばかり観てる気がする。

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前のブログで「カメラを止めるな!」と「万引き家族」を観たことについて、凄く良かった、としか書かなかったので、少しだけ感想を。「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」についても。



ミッション:インポッシブル/フォールアウト」
このシリーズは昔から吹き替えで見ていたから今回も吹き替えで鑑賞。今作の重要人物であるCIAの凄腕エージェントの喋りがやけにモタっとしていて、と言うかはっきり言うと全然凄腕エージェントじゃない間の抜けた喋り方で、なんだろうなぁと思っていたら最後のクレジットにDAIGOと書いてあって納得。あー思い返したら確かに竹下元総理の孫DAIGOの声だった。でも、なんでこのキャスティングなんだろう。話題作りや大人の事情で吹き替えにタレントを差し込むことに文句を言うつもりはないけれど、選定を誤るとどっちも得しない気がする。
でも映画自体は面白かった。そんなことあるか?!と突っ込むのはもはや野暮で、大きなスクリーン、そして大きな音で豪快なアクションを楽しむ事が出来れば、それ以上は何も求めなくて良いと思う。



万引き家族
少し前に中国版のポスターが素晴らしいと話題になっていたけれど(→)、2枚あるポスターのうち本編では映っていない花火が全面に描かれているポスターに実はちょっと疑問を抱いた。デザインは素敵だけれど綺麗な花火を描いて「花火を楽しむ幸せな家族」っぽい絵にしてしまうのはちょっと違うんじゃ無いかな、と。だってこの映画は花火(=華やかな表の世界)を観ることが出来ない場所で暮らす人達の物語だから。音は聞こえるけれど、それを観ることはできない。観るために外へ出るわけでもなく、樹木希林にいたっては「昔観に行ったけれど‥」と花火にもはや興味すら示さない。観えない花火によって彼らの生き方を表現している重要なシーンだから、花火は描かれないことに意味があるんじゃないかなぁ、って、あれ、これは映画の感想じゃないな。



カメラを止めるな!
この鑑賞後の気持ち良さって何なんだろうかと自分なりに考えた結果、「フリ→オチ」と「伏線→回収」という二つの気持ち良くなる要素を同時に昇華してることが、この映画の特筆すべき気持ち良いポイントなんじゃないかと勝手に結論。この映画はざっくりと3部構成になっていて(エンドロールを含めると4部構成)、第1部で伏線を張り、第2部でフリをして、第3部では2部のフリに対するオチで1部の伏線を回収するという巧みな構成になっているのがポイント。気持ち良さのコンボが成立してる。しかも「フリ」「オチ」「伏線」「回収」の全てが単体でボケとして機能していて、さらにはこの映画は基本的にその4つの要素しかないことも気持ちいいポイントなんじゃないか。
と、書いてはみたものの、これは本作を観ていない人にはさっぱりピンとこない話。世間では、ネタバレせずにいかにこの映画の面白さを伝えられるかが一種のゲームみたくなってる気がするけれど、そうさせるのもこの映画のパワーなんだろうなぁ。いい映画。

スコティッシュフォールドの真実

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映画館に行かない生活が何年も続いていたのに、ここ最近は決して頻度は高くないものの定期的に映画館に足を運んでる。定額制配信サイトで映画を大量に観ることが出来るこの時代に、その月額の倍近い値段を払ってしかも大きいスクリーンでポップコーンを食べながら観る贅沢な嗜みの、その素晴らしさを齢30を超えてやっと理解してきた。これは多分、ストリーミング全盛の時代にレコードが再評価されているのと同じ仕組み。カウンターであり新鮮さ、全く別のメディアだからこそ見えてくる活路、というか、別の楽しみ方。
作品と媒体の関係性は思った以上に深くて、媒体が変われば作品の楽しみ方も変わってくる。その振り幅が大きければ大きいほど楽しみ方は増えるし、作られる作品の幅も広がるだろうから、メディアが多様化していくのは良い事なのかもしれない。(が、危惧しなきゃいけない面も多々あると思ってる)

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ちなみに最近は『万引き家族』と『カメラを止めるな!』というミーハー丸出しな映画鑑賞をしているけれど、どちらも凄く良かった。次は『ミッションインポッシブル』が観たい。

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先日、映画上映までの空いた時間に、知り合いと何気なくペットショップへ行ったのだけど、そこで知人から聞いた話が衝撃だった。スコティッシュフォールドの話。


言わずと知れた、折れ耳が超絶可愛い猫スコティッシュフォールドについての衝撃の真実。
スコティッシュフィールドの最大の特徴である折れ曲がった耳は「軟骨異形成」という遺伝的疾患で、50年前にスコットランドで生まれたその疾患猫を人為的に掛け合わせて作られたのが現在ペットショップで目にする可愛らしいスコティッシュフォールド。「軟骨異形成」は当然耳以外にも影響が出るもので、耳が折れているスコはほぼ100%の確率で何らかの障害があるという。具体的には、しっぽの硬直、手根骨や足根骨の不整列、関節軟骨の不全などで、それらは一生涯、猫に痛みを与え続けることになる。スコティッシュフォールドの特徴である、後ろ足を前に投げ出したいわゆる「スコ座り」も後ろ足に体重をかけると痛いからあの姿勢になっているらしい。辛すぎる。人間が意図的に繁殖させた疾患のある猫の、その疾患である耳や座り方を指差して「可愛い」「癒される」なんて言う残酷さ。そして猫たちの受ける痛みに目を向けない身勝手さ。原産国であるイギリスでは動物愛護の観点から繁殖が禁止されているらしいけれど、日本やその他の輸出先の国では禁止されていない。
調べてみるとペットの人工交配による障害は猫だけに止まらない。例えばブルドッグは人工交配を繰り返した結果、愛らしいルックスの代償として、高い確率で皮膚の病気や呼吸障害を起こし、さらには骨格的に自然分娩も出来ない品種になっている。
ブリーダーたちは「珍しい毛色が売れるから」といった理由だけで無理な近親交配させて、障害のある犬を生み出している。耳の聞こえないダックスフント、両目のないチワワ、脳に障害がありその場で回り続ける柴犬。これらの売り物にならない犬がどうなるかなんて容易に想像がつく。
人間って本当に残酷だ。徳川綱吉がこの現状を知ったら発狂するかもしれない。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm816927

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先日8月8日が「世界猫の日」ということで、昔飼っていた猫(と言っても家猫でなく、野良猫が住み着いただけ)の写真を眺めていたのだけれど、悲しいかな、記憶の中では可愛かったのに今になって見返すと全然可愛くない。ブサ可愛い、ではなく、ただのブサイク。
でもまぁ、それで良いのかもしれない。それでも当時は充分可愛く思えていたわけだし、可愛い容姿を求め過ぎると先述したような弊害が出てしまうのだし。どんな容姿であれ、そこに愛しさを感じられる心が持てれば最強なんだと思う。

周期ゼミの話

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夕方、土の湿った匂いがどこからか漂ってきて、案の定、雨。
この町では何日ぶりかの、いや、たぶん何週間ぶりかの雨が降る。
連日の猛暑のこともあって「恵みの雨」と言いたいところだけれど、そう言ってしまうことにどこか不謹慎な気持ちを抱かずにはいられない、そんな平成最後の夏。

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それにしても暑い。
今日になってようやく気温は下がったものの、ここ数日は連日のように38℃だ39℃だと猛暑が続いていて、天気予報をみると沖縄よりも随分と気温が高い。なんだそれ。暑すぎて蚊も飛んでない。
蚊は飛んでないけれど、セミはうだるような暑さの中、ジージジと鳴き続けてる。土の中で溜まりに溜まった思いの丈をぶつけるように鳴いている。うるさい。
(ちなみにセミの鳴き声を「ジージジ」と表現したけれど、僕の住む名古屋市にはミンミンゼミは生息していない。ミンミンゼミが生息するには暑すぎるらしい。だから市内にいる限り「ミーンミン」という鳴き声は聞けない。)

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そういえば以前、周期ゼミがどうして一定の周期、それも素数で大量発生するのか、といったネットの記事を読んだことがある。
アメリカに生息する周期ゼミ(13年ごと17年ごとといった素数周期で大量発生するセミ)が12年や16年周期では無く、素数である13年や17年周期になったその理由は、素数の最小公倍数にあるという記事。


キーになるのは最小公倍数の大きさ。素数の最小公倍数は他の数の最小公倍数に比べると大きいことがセミの周期を決定した要因だという。
例えば12と14の最小公倍数は84。つまり12年周期のセミと14年周期のセミが次に交雑できるのは84年後ということになる。それに対して13年周期と14年周期だと182年後、17年周期と18年周期だと306年後といったように、素数周期で発生するセミは他の周期のセミと交雑する機会が圧倒的に少ない。
そのことはセミにとって大きなメリットなんだという。一見すると他の周期ゼミと交雑出来る方が種の裾野が広がって良さそうにも思うけれど、実際は周期の違う周期のセミ同士が交配してしまうと、生まれてくる子供の周期が乱れてしまい、発生した年に個体数が少なく交雑できないなんて事も起きてしまうらしい。これは周期ゼミならではの問題だ。
だから、他の周期ゼミと交雑せずに13年周期17周期の同じ周期で子孫を残していった素数ゼミは、他の周期ゼミに比べて確実に個体数を増やすことができる。これが何十万年、何百万年と繰り返されることによって、現在では素数周期のセミだけが生き残ることとなった、という記事。


数学的で面白い話だな、と思うと同時に、こんなことを人間が頭をひねって考えているのに、当のセミたちはそんなこと知る由もないというのはなんだか可笑しな話だ。
セミからしたら自分が素数年で発生している事実どころか、その17年間、街からセミが姿を消してることも知らない。幼虫だって自分が17年も地中にいる意識なんて無いだろうし、卵を産んだ親だって子供が17年も土の中にいるなんて思ってない。そもそも卵が孵化する前に死んでしまう。子供の成長どころか我が子を目にすることすらない。
人間は人間の時間軸で物事を考えるけれど、セミは永遠のような土の中と刹那の地上を生きるだけで、そこに時間なんてない。瞬間と永遠。そこに人間の時間軸を入れ込んで考えるのは、セミからしたら滑稽に見えてしまうかもしれない。