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雑記 人を救えるものは、人を殺すこともできる

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2、3日前まで夜には暖房を入れていたのに、今日は夏日になるという。

今年ももう3分の1がすぎたことに驚きを隠せない。

 

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先日、有害なプラスチックを食べる細菌が発見されたというニュースを見かけて、ゲゲゲの鬼太郎に出てきたある話を思い出した。

それは、『ゲゲゲの鬼太郎青春時代』(70年代に週刊実話で連載されていた下ネタとかもある鬼太郎)に収録されている「妖虫の巻」という短編。ねずみ男がプラスチックを食べる虫を利用して一儲けを企むも、その虫がプラスチック以外も食べて大きくなり、都市、山、ついには地球ごと食べてしまって、最後にはその虫の背中に乗っているねずみ男も食べてしまうという、鬼太郎もほとんど登場しない社会風刺的な話。教訓めいた内容だし、落語の「頭山」にも似たユーモアもあって好きな話なんだけれど、こういった飼い犬に噛まれるとでも言うのか、自分を助けてくれると思ったものが自分を殺してしまう系の話はなんだかゾクゾクする。実際、世の中はそんなもので溢れている。

 

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人を救うことができるものは、人を殺すこともできる

なんてことを常々思っている。銃とか薬とか、お金とか。核だってそうだし、芸術だってそうなのかもしれない。善意だってそうだ。有害なプラスチックを食べる細菌だってもしかしたら人に害があるかもしれないし、あるいは人を蝕むウイルスもどこかで人を救っているかもしれない。要はそれだけパワーがあるという事だ。何かをひっくり返してしまうほどのパワー。人を救えるほどのパワーがあるものには、人を殺すパワーだって当然のように備わっている。だから「生」と「死」は対極にある存在ではなくて、とても近いものなんだろうなと思う。

って、これはつまり陰陽思想なんだろうか。白と黒の勾玉が重なり合って円となるあの太極図みたいなこと。詳しく知らないけど。

 

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ウイルス進化説」という考え方がある。

ダーウィンが唱えた自然淘汰による進化ではなくて、ウイルスによって引き起こされる変異が生物を進化させてきたという説。今、僕たちはウイルスによって命の危険にさらされているけれど、実はウイルスに感染することで、生物は命のバトンを繋いできたかもしれないというのだ。つまり進化はウイルスによる伝染病。世界中でウイルスに侵されて命を落としている現状では、あるいは不謹慎な言い方になるかもしれないけれど、ウイルスを受け入れることこそが僕たち人類を延命させることに繋がるのかもしれない。

地球規模で考えてしまえば、ウイルスによる生と死のリフレインはいたる所で当然のように行われてきたし、そのリフレインこそが「生きる」ってことなんだろう。それは身体の中で細胞が生と死を繰り返すことによって、生物自身が成長していくように、地球を形成する細胞である僕たちの生も死も全てひっくるめて、それが地球の生態系の正しいあり方なのかもしれない。

やや宗教臭いけれど、そんな事を考えながら日々のブルーな気持ちを紛らわしている。

 

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今回のことで歴史は「beforeコロナ」と「afterコロナ」に分断されるとよく耳にする。確かにそうだと思う。それがどんな規模の分断になるかはまだ想像ができないけれど、世界大戦や9.11がそうだったように、コロナは歴史に線を引いて、それによって様々な変化が起こるであろうことは僕みたいな素人でも感じ取れる。そして、それは必ずしもネガティブな変化だけではないという事だってわかる。

世の中はスクラップ&ビルドで成長していくという。筋肉がトレーニングによる筋細胞の破壊によって増幅していくのと一緒だ。ネゴティブな事象は新しい何かを生み出す。考えてみれば、現代の社会システムも科学の進歩も芸術の発展も、世界大戦が無ければ全く別のものになっていたかもしれないのだから、今回のコロナウイルスが作り出す素晴らしい未来もきっとあるに違いない。

僕たちは感染拡大防止に努めながら、同時に素敵なアフターコロナの世界を創造していく責任を背負っている。おそらく、そうやって人類は命のバトンを繋いできたんだろうし、これからも繋いでいくんだから。そんな事を、家でゴロゴロと暇を持て余している自分は、自戒の念も込めて思っている。言葉にまったく重みがない。

 

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有害なプラスチック食べる細菌発見、高温や酸性環境でも生存(The Guardian) - Yahoo!ニュース