ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

自然災害と神様の話

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9月になってから天気のせいか気圧のせいか、体も頭も動きが鈍い。
夜のランニングもサボり気味で、今月はまだ三回しか走っていない。一週間走っていないとランニングで使っているアプリからメールで届くフィットネスレポートに、大きく「今週はご一緒できませんでしたね!」と書かれてしまう。よく出来たアプリだ。思わず「ごめんーm(_ _)m 雨の日が多かったからどうしても。来週こそは一緒に!」なんて返信したくなる。恋愛の一歩手前な関係性が臭ってちょっと楽しい。
どうやら本当に頭が鈍ってる。

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それにしても自然災害が多い。
やれ地震だやれ台風だと、次から次に押し寄せてくる。国土面積からしても、これだけ自然災害が集中している国は珍しい。世界広しといえどもトップクラスなんじゃないかと思う。外国の人はきっと思うに違いない。どうしてこんな土地に住んでいるんだ、と。台風の進路や活断層マップを見てもこの国が地理的な欠陥を抱えているのは明白だ。でも、だからといってこの国を去ることができるかと問われれば、いや、それは無理。産土(うぶすな=生まれた土地のこと)ってそんな簡単に捨てられるものじゃない。
人類がアフリカで誕生したことを考えると、日本は長い旅の果てにたどり着いた安住の地だ。アフリカからユーラシア大陸に渡り、シルクロードを東の果てまで進んで、さらに海を渡った先の島、それが日本。そうやって安住の地を求めてたどり着いたこの場所が、こんなにも自然災害が多かったというのはちょっと残念な話でもある。その結果として日本人は自然と向き合って生きざるを得なかった。多くの日本人が持つ宗教観がヨーロッパのような唯一神的なものではなくて、自然宗教アニミズムの流れを持つ多神教的なものだというのも、つまりはそういう事なんだと思う。よく言われる、農耕民族だから〜、といった理由だって要は同じことだ。人類の旅の最後に行き場をなくした僕たちの祖先は、どんなに自然災害が多くてもこの土地を愛するしか道が無かった。この場所で畑を耕すしかなかった。

よく海外の映画や小説を読んでいると登場人物が気軽に住む場所を変えるので驚くときがある。ミュージシャンとかもそうだ。ニュージャージーからブルックリンみたいな引越しなら距離的にも意味合い的にも納得しやすいけれど、ニューヨークからパリだの、ロンドンからシドニーといった距離をさらりと引っ越してしまう。これって日本人には難しい感覚だと思う。

日本人は土地に執着が強い。それも自分が生まれた土地に。産土信仰というものがあるくらいだ。その背景には、行き場をなくした僕たちの祖先が自然災害と闘い、あるいは神として崇めてきた歴史がある。多くの命を奪う自然、そしてこの土地が、一方で日本人を作り上げて来たんだな、と、そんな当たり前のことを災害ニュースを見ながらぼんやり考える。

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言わずと知れたジブリの傑作アニメ『もののけ姫』の終盤、主人公アシタカがこんなセリフを言う。
「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。生と死と二つとも持っているもの」
この言葉が、今すんなりと腑に落ちる。キリストは救う者だけれど、シシ神は奪いもする。もちろんそこに正解、不正解はない。
ただ単純に、多くの日本人にとっての神の在り方としては、それが「自然」だということ。『もののけ姫』の海外評価があまり高くないのって、その辺りの感覚の違いなんだろうなぁ。