ハナムグリのように

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美しさ(神様のプログラミング)

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暮れの空を眺めながら、その美しさに少しだけ鼓動が早くなるのを感じる。

明けの空よりも、澄んだ青空よりも、ましてや雨空なんかよりも、暮れの空に一番魅力を感じてしまうのは何故だろう。大寒も過ぎて冬の底。夜の帳が下りる少し前の、あの空の色。

人の感じる ’美しさ’ って本当に不思議だ。芸術作品でも何でもない、ただの空のグラデーションにここまで美しさを感じてしまう。その理由について、誰かがどこかに回答を書いてくれているの?そもそも、それは言語化できるものなの?

そんなことを考えながら、冬の夕方。 今年ももう一ヶ月が終わる。

 

 

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人の持つ感覚や感情、心の動きには全て理由がある。

例えば、僕たちが甘いものを食べるのを止められないのは、自然界において糖分が貴重な存在だからなんだそうだ。自然界では甘い物を食べられる機会は少なく、食べることのできるタイミングが訪れたら一気にたくさん摂取しなくてはならない。甘いものは別腹だ、なんて言うのは決して食いしん坊の言い訳なんかではなくて、糖質を多量に摂取するようにと遺伝子にプログラミングされているからだ。その反対に、苦いものを吐き出してしまうのは身体に害がある食物を取り込まないためで、だからこそ苦味なんていう一見すると不快で邪魔なだけの味覚が存在する。男性が女性の胸に興奮するのは、二足歩行するようになった僕たちの祖先がお尻にあった発情のサインを胸に移行させたからだし、女性が男性の筋肉に惚れるのは、そこに自分や子供を守ってくれる生物としての強さを感じるからだ。人間に喜怒哀楽などの感情があるのだって、集団で社会生活を送っていくためには、感情を使ったコミュニケーションが必要不可欠だからだろう。そうやって、全ては「生きること」を大義として存在している。僕たちはそうやって進化してきた。もちろん ’美しさ’ を感じる理由だって例外じゃない。

スポーツを観ていて僕たちがアスリートの身体に美しさを感じるのは、人間が美しいと判断する基準にたまたまアスリートのフォルムが当てはまった訳ではなくて、アスリートの生物として優れた身体を美しいと感じるよう神様がプログラミングしたからなんだと思う。健康的で優れた身体、整った骨格を僕たちは生物として欲する。だから、生物としての優秀さ=美しさ、という方程式が僕たちの遺伝子の中に書き込まれている。

では、暮れの空を美しいと思うのは何故なんだろう。それは「生きること」に関係があるんだろうか。「生きること」を大義とした感情の外側にも ’美しさ’ ってあるんだろうか。

 

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僕たちはしばしば儚いものに美しさを感じる。桜や花火、あるいは命とか。

これについて僕は「そもそも美しいものが儚さによってより美しくなる」と理解していたけれど、それはどうやら間違いなのかもしれない。本当は「儚いこと、失いたくないこと、それが ’美しさ’ 」なんじゃないかと思う。

’儚い’ という感情は失いたくないものにしか抱かない。失っても惜しくないものに対しては、それがいくら短命であっても ’儚い’ とは言わない。桜(春)や花火(光)を僕たちは “生物的に” 失いたくないと感じるはずだ。そして、それが短命に終わると気づいたときに ’儚い’ という感情が生まれて美しさがバーストする。美しいから失いたくないのではなく、失いたくないから美しいと感じる。先にも書いたアスリートの身体もそうだ。生物として優れた身体、遺伝子を失いたくないと僕たちは本能的に感じているんだろう。その感覚が美しさへと変換される。

そう考えると、暮れの空の美しさにも合点がいく。

夜行性でない僕たち人類の祖先にとって、夜は恐怖の時間だった。視界がなくなり、獣に襲われる危険度がぐっと増す闇の時間。彼らにとって太陽や灯はどれだけ有難かっただろうか。だからこそ人間は太陽や火を崇め奉ってきた。夕暮れはそういった神である光が闇に飲み込まれていく時間帯だ。やっぱり「生きること」を大義としている。闇は死を近づける。だから僕たちは太陽の光が失われることを恐れる。

失いたくないものを美しいと感じるよう遺伝子の中にプログラミングされているのならば、夕暮れ時の空は最も美しい空だと言っていいのかもしれない。

 

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そして、失いたくないもの=美しい の方程式は当然、人間に対しても使うことができる。

僕たちは愛する人を美しいと思うけれど、それは美しいから愛しているわけではないことが多い。もちろん美しいから愛している場合もあるだろうけれど、多くの場合はむしろ逆で、愛しい→(失いたくない)→美しい、の順番に感情は動いているはずだ。愛しくて失いたくないと思うからこそ美しく感じる。これってわりと、恋愛と美に関する真理かもしれない。

よく好きな異性のタイプを訊かれて「好きになった人がタイプ」だなんてボヤかす人がいるけれど、それってボヤかしているようでいて、実際は嘘偽りのない本心だったりする。だって、好きになった人を美しく感じるよう神様がプログラミングしてしまったんだから。愛している人を美しく思ってしまうんだから、その言葉に嘘はない。まぁ、女の子に「えー、好きになった人がタイプですー」なんて答えられたら、そういう話じゃねーよって思うけど。

 

 

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暮れゆく空をぼんやり眺めながら、美しさについてあれこれ考える。

電球が発明される以前は、この空はもっと美しく感じられたのかな、とか、自然を美しく感じるのは生き物としての本能なのかな、とか。

僕たちが何かを美しいと感じる時、それは同時に失いたくないと思っている時だ。失いたくないもの、愛しいものが増えれば、世界はどんどん美しくなる。そんな当たり前のような世界の公式に気がつく冬の夕暮れ。これからも、どんどん失いたくないものを増やしていきたいなぁ。