タラブックスの挑戦

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台風は外れて、この街では雲ひとつない快晴だけれど、風は少しばかり強い。
カーテンが大きく揺れて、夏の空気が部屋を満たす。
夏の匂いは不思議とワクワクする匂い。

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昨年末に板橋区立美術館で開かれていた企画展「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」が東海地方にも巡回してくれたので観に行ってきた。告知も大規模にしてないから危うく見逃すところだった。


タラブックスは南インド・チェンナイを拠点とする小さな出版社。本当に小さくて社員数は15人。印刷・製本までの職人を含めても40人くらいの組織。この出版社を世界的に有名にしたのは『夜の木』に代表されるようなシルクスクリーン印刷によるハンドメイド本だという。
僕たちが普段目にする印刷物のほとんどは、巨大な輪転機を使って印刷工場で刷られたもので、新聞や書籍や雑誌みたいな、短時間で大量生産出来る印刷物だと思う。それに対してタラブックスのビジュアルブックや絵本は、版画のような仕組みで刷られるシルクスクリーン印刷で、職人が1ページずつ手刷りをしてそれを針と糸で綴じるという、恐ろしくアナログな手法で作られる。企画展の中で上映されていた「絵本『世界のはじまり』ができるまで」というビデオを見る限り、タラブックスは出版社や印刷工場というよりは家内工業の作業場といったイメージ。もしくは工房。それもあって、タラブックスで作られたハンドメイド本は単なる「本」という枠組みを通り越してひとつの「工芸品」という呼び方が相応しく感じる。
さらに、タラブックスを特別な出版社たらしめている点はシルクスクリーンによるハンドメイドというその手法だけでなくて(実際、ハンドメイド本は全体の2割くらいなんだそう)、そこで描かれる内容やデザインにもある。インドの様々な民族画家を取り上げたり、土着の民話を題材にした作品や、図工の先生と作った美術教育の本、斬新な仕掛け絵本などなど。時代の流れのあえて逆を行こうとするような、そんな着想がタラブックスの魅力になっている。これは電子メディアが氾濫する現代に一石を投じるような、カウンターとしての立ち位置かもしれない。

僕たちが今まで目にしていた印刷作品は今や電子メディアに取って代わられ、視覚情報として瞬時に入ってきてはすぐに流れ消えていく。それが今の時代なんだと思う。ネットニュースやSNSのタイムラインみたいなもので、その瞬間だけ意味をなして後腐れがない。物を持たない生活に憧れる人が増えているのも、もしかしたらその流れなのかもしれない。それに比べると、タラブックスの作品は「物」であることを重視する。触れられることに意味がる。「歴史」や「土着性」に重きを置く。それは流れては消えていく現代の「作品」とは全く別の「作品」で、だからこそ、その意味を考えさせられる。その大切さを実感させられる。
最近、電子メディアについて考えることが多いから、とても興味深くて楽しい企画展だった。行けて良かった。

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企画展では実際にタラブックスの出版物も販売していたから、タラブックスの代表作である『The Night Life of Trees』と、絵が可愛かった『I LIKE CATS』の2作品を買った。
家に帰ってからビニール袋を剥がすと、今までに嗅いだことのない匂いがした。これがインクの匂いなのか、はたまた行ったことのない遥かインドの匂いなのかは分からないけれど、僕の知らない特別な匂い。触ると、これも普通のオフセット印刷なんかとは違う特別な感触がした。
当たり前だけれど、嗅げるし触れるというのは良い。とても良いと思う。
これは本に限った話じゃなくて、好きな物、それに好きな人だって、嗅げるし触れるに越したことはない。出来ることなら五感全部で感じたい。好きってそういう事なんだと思う。
とすると、もしかして、ひとつの感覚でしか受け取れないものを好きになるのって、実は難しい事なのかもしれない。なんて、ふと思ってしまう。

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