ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

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仕事帰り、人身事故の影響で駅が混雑。あれ、昨日も人身事故があったんじゃないか。どういうことなんだ。この街はどうかしちゃったんじゃないか。と思うけど、きっとこの国はこういう国だ。交通事故で死ぬ人よりも自殺する人の方が多い。老衰で亡くなるよりも自殺する人は多い。もっと言えば一年で自殺した人の数は今回の地震とそれに伴う津波で亡くなられた人の数より多い。
帰宅。暑くて体がだるい。

起床。体がだるい。関節が痛い。喉が痛い。もしや、と思って体温を測ると案の定熱がある。今日は仕事が休みだから市販の風邪薬を飲んで寝込む。良くなれば良いけれど。
そのまま夜の7時まで寝て、体温を測ると38,8度。良くなる気配はないので病院に行こうと思うも周りの病院は水曜休み。ネットで休日診療を行なっている病院を探してその病院まで車で向かう。着いた病院には患者は誰もいなく伽藍としていてちょっと不気味。診察室に通されるとそこにいたのは学生に白衣を着せたような頼りなさそうな青年で不安になる。診察中も「不思議だなぁ不思議だなぁ」と呟きながら貧乏揺すりをしていて、しかも「喉、赤いねぇ、痛いでしょ」とやけに馴れ馴れしくため口。病院を間違えた。いいから薬をください。
処方された薬を飲んで就寝。明日は仕事だ。


起床。薬で熱を下げているので幾分か体は楽だけど、それでもやっぱりしんどい。昨晩処方された薬は三回分だからお昼には無くなってしまう。心もとない。
就労。ふらふらしながら仕事。上司にも風邪気味だと伝えてゆったり、ぼんやり仕事をする。季節の変わり目はいつもこんなで、だいたい体を壊す。昔からいつもそう。成長がない。
終業。職場と駅との間に相撲部屋があって、仕事帰りにお相撲さんを見かける。帰り道、小さな女の子がお相撲さんを指差して「キューピーさん!」と言ってるのを見て、思わず笑ってしまった。凄い想像力。本人に聞こえてなければ良いけれど。

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浜岡原発の稼働停止によってこの街でも節電モード。自然光で満たされる街はキレイだってことに気がつく。良い兆候。節電意識、反原発意識が高まるのは良い事だと思う。
けれど、その一方で思う事がある。結局自分たちは自分に影響のある目先の事にしか危機を感じないのじゃないか?ってこと。
例えばいくら「節電」と言っても僕らは電化製品が大好きだ。不必要な機能満載のスマートフォンが飛ぶように売れるし、アナログ放送が終了するからと言って地デジ対応の液晶テレビもバンバン売れる。それらのハイテク機器の中には鉱物が沢山入っている。鉱物資源の乏しい日本ではその大半を海外の輸入に頼っている訳だけれど、例えばチリ。
2010年の鉱山事故を例に挙げるまでもなくチリは鉱物資源が豊富で沢山の鉱山がある。特にチリは銅が豊富で、チリで採掘された銅の30%は日本へやって来る。それ以外の鉱物もいろいろやって来る。それらの鉱物を採掘するには大量の電力が必要で、そこで使われる電力はなんとチリ国の消費電力の三分の一だという。これはちょっと異常な電力量だと思う。その異常な量の電力を使って採掘された鉱物が沢山入った製品を僕らは買うわけだ。節電という言葉が無力に感じてしまう。そして、買い手があるから鉱物の採掘は止まらず当然のようにチリでは電力不足がおこる。チリに原発はないけれど、今年3月、チリは原発建設検討に向けて米国との原子力協定に署名したところだ。きっとそのうちにチリにも原発が作られるんだろう。チリ国民の84%が原発反対で、チリが日本と同じく地震大国だという事実があってもだ。
「節電」や「反原発」を唱う僕らが下らないバラエティ番組を見たり、携帯でツイッターなんか見たり、パソコンでブログなんか書いたりする、その背景にはチリの電力不足と原発問題がある。別に、テレビや携帯やパソコンを使うな、って話ではもちろんない。僕だって使ってる。ただ、背景を知るってことは重要だと思う。この社会は目先の事だけ考えれば生きていけるような社会システムになっている。原発なんてのはその社会システムのボロがでたようなもの。だからこそ、僕らは背景を考えて物事を行なわなければないと思う。正直、僕は社会について深く考えた事もないし、これからも考えるかはわからないけれど、最低限、目の前にある社会の背景を読み取って行動をしたい。多くの場合、そこに危機は隠れている。と、そう思う。

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まるで社会派なブログになってしまった。