ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

6月14日

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朝のニュース番組で見た正座占いでは、ふたご座が最下位。ラッキーアイテムは卵サンドらしいけれど、朝ごはんは今しがた食べ終わったところ。占いなんて普段は気にもしないのに、最下位だとそれはそれで気分が良くないのはどうしたものか。食べたくもないのに卵サンドが心の奥に引っかかる。


今日は正社員試験なのでいつもと違う時間にいつもと違う電車に乗って、ちょっと気分転換になるかしら。と思いきや、言っても試験なので精神的に疲れる。そして昼からは通常通り仕事に従事。どこかしらフワフワした感じで、どうも調子が良くない。終業時刻。帰宅。


夜、人の不機嫌と接触事故を起こす。 思うに不機嫌な人ってのはマナーの悪い運転手のようなもので、こちらがちゃんと注意を払って安全運転をしていれば滅多なことでは事故は起きないのかもしれない。だけれど、こっちが少しでも雑な運転をしてしまうと危険を回避できずに軽く接触事故を起こしてしまう。自分にも責任があるという訳ではなく、避けることは可能だった、ということ。そんなことは日常生活に多々ある。


6月14日。大塚寧々、チェ・ゲバラ菊地成孔、そして自分の誕生日。


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昨日の新聞で見かけた岡林信康さんの言葉。
「人間の内側には、完ぺきに何もかもがそろっている。足りないものはない。他人になろうともがいているうちは幸せにはなれない。自分を愛していないわけやから」
自分を変えることに必死になる前に自分の中の「宝」を見つけなければならない、といった意味合いで引用されていたこの言葉。ごもっともだけれど、自分の中の「宝」を見つけることは自分を変えることより(もしくは変わったふりをすることより)遥かに難しいことなんだと思う。だからみんな「変身」という一見難しそうで、実は容易い方向に流れてしまう。
自分だってそう。変身願望はないにしても、23歳になった今、いったいどれだけ自分の中の「宝」を見つけることができているのだろうか。少なくとも今は「自分を愛してる」なんて、口が裂けても言えない。
「〜幸せにはなれない。自分を愛していないわけやから」と言う岡林さんの言葉が重くのしかかる。自分を愛するのは本当に難しい。