ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

雑記 人を救えるものは、人を殺すこともできる

f:id:tomotom:20200502124327j:plain

2、3日前まで夜には暖房を入れていたのに、今日は夏日になるという。

今年ももう3分の1がすぎたことに驚きを隠せない。

 

----

 
先日、有害なプラスチックを食べる細菌が発見されたというニュースを見かけて、ゲゲゲの鬼太郎に出てきたある話を思い出した。

それは、『ゲゲゲの鬼太郎青春時代』(70年代に週刊実話で連載されていた下ネタとかもある鬼太郎)に収録されている「妖虫の巻」という短編。ねずみ男がプラスチックを食べる虫を利用して一儲けを企むも、その虫がプラスチック以外も食べて大きくなり、都市、山、ついには地球ごと食べてしまって、最後にはその虫の背中に乗っているねずみ男も食べてしまうという、鬼太郎もほとんど登場しない社会風刺的な話。教訓めいた内容だし、落語の「頭山」にも似たユーモアもあって好きな話なんだけれど、こういった飼い犬に噛まれるとでも言うのか、自分を助けてくれると思ったものが自分を殺してしまう系の話はなんだかゾクゾクする。実際、世の中はそんなもので溢れている。

 

----

 

人を救うことができるものは、人を殺すこともできる

なんてことを常々思っている。銃とか薬とか、お金とか。核だってそうだし、芸術だってそうなのかもしれない。善意だってそうだ。有害なプラスチックを食べる細菌だってもしかしたら人に害があるかもしれないし、あるいは人を蝕むウイルスもどこかで人を救っているかもしれない。要はそれだけパワーがあるという事だ。何かをひっくり返してしまうほどのパワー。人を救えるほどのパワーがあるものには、人を殺すパワーだって当然のように備わっている。だから「生」と「死」は対極にある存在ではなくて、とても近いものなんだろうなと思う。

って、これはつまり陰陽思想なんだろうか。白と黒の勾玉が重なり合って円となるあの太極図みたいなこと。詳しく知らないけど。

 

----

 

ウイルス進化説」という考え方がある。

ダーウィンが唱えた自然淘汰による進化ではなくて、ウイルスによって引き起こされる変異が生物を進化させてきたという説。今、僕たちはウイルスによって命の危険にさらされているけれど、実はウイルスに感染することで、生物は命のバトンを繋いできたかもしれないというのだ。つまり進化はウイルスによる伝染病。世界中でウイルスに侵されて命を落としている現状では、あるいは不謹慎な言い方になるかもしれないけれど、ウイルスを受け入れることこそが僕たち人類を延命させることに繋がるのかもしれない。

地球規模で考えてしまえば、ウイルスによる生と死のリフレインはいたる所で当然のように行われてきたし、そのリフレインこそが「生きる」ってことなんだろう。それは身体の中で細胞が生と死を繰り返すことによって、生物自身が成長していくように、地球を形成する細胞である僕たちの生も死も全てひっくるめて、それが地球の生態系の正しいあり方なのかもしれない。

やや宗教臭いけれど、そんな事を考えながら日々のブルーな気持ちを紛らわしている。

 

----

 

今回のことで歴史は「beforeコロナ」と「afterコロナ」に分断されるとよく耳にする。確かにそうだと思う。それがどんな規模の分断になるかはまだ想像ができないけれど、世界大戦や9.11がそうだったように、コロナは歴史に線を引いて、それによって様々な変化が起こるであろうことは僕みたいな素人でも感じ取れる。そして、それは必ずしもネガティブな変化だけではないという事だってわかる。

世の中はスクラップ&ビルドで成長していくという。筋肉がトレーニングによる筋細胞の破壊によって増幅していくのと一緒だ。ネゴティブな事象は新しい何かを生み出す。考えてみれば、現代の社会システムも科学の進歩も芸術の発展も、世界大戦が無ければ全く別のものになっていたかもしれないのだから、今回のコロナウイルスが作り出す素晴らしい未来もきっとあるに違いない。

僕たちは感染拡大防止に努めながら、同時に素敵なアフターコロナの世界を創造していく責任を背負っている。おそらく、そうやって人類は命のバトンを繋いできたんだろうし、これからも繋いでいくんだから。そんな事を、家でゴロゴロと暇を持て余している自分は、自戒の念も込めて思っている。言葉にまったく重みがない。

 

----

 

有害なプラスチック食べる細菌発見、高温や酸性環境でも生存(The Guardian) - Yahoo!ニュース

 

 

祇園祭の由来 疫病のこと

f:id:tomotom:20200417163841j:plain

 

----

 

相変わらずのサボりぐせで2ヶ月ぶりの更新になる。

 

この二ヶ月間で僕自身の変化はさほどないけれど、周知の通り世間は大きく変化している。その原因はもちろん新型のコロナウイルスだ。

 

ネットでニュースを遡ってみると、2ヶ月前といえば新型肺炎患者が乗船した大型クルーズ船ダイアモンド・プリンセス号が横浜港に停泊するとかしないとかで揉めていた頃。それはあくまでも中国武漢での感染症であって、それが日本に入ってきたら恐ろしいなぁ、なんて悠長に考えていた頃。でも現在(4月17日)ではどうだろう。新型コロナウイルスの感染拡大は中国にだけに留まらず、世界中がコロナパニックに陥っている。ウイルスは対岸の火事ではなかった。まぁ、それは当然のことだったのかもしれない。世界は僕が思っているよりも密接に繋がっているし、そもそも日本の港にいるんだから対岸の火事な訳がない。

イギリスの首相が感染し、ハリウッドスターや有名スポーツ選手が感染し、日本では志村けんが命を落としてしまった。イタリアやスペイン、アメリカNYでは都市封鎖が行われて、4月17日現在、全世界で200万人が感染し、13万人を超える人が亡くなっている。日本でも連日500名を超える人が感染して、既に7つの都府県に出されていた緊急事態宣言を政府は全国に拡大すると発表した。この状況がいつまで続くのか、そして経済や文化にどれほどの影響を及ぼすのかについて、誰も明確な答えが出せないまま感染者数は増え続けている。

文字にしてみるとまるで映画のような話だけれど、これら全ては紛れもない事実。ピークがいつかもわからない。来週はもっと多くの感染者が出ているかもしれないし、あるいは感染が終息に向かっていると、どこかの偉い人が宣言するかもしれない。それは誰にもわからない。「不安」の一言では表せない不思議な感覚を毎日味わっている。

 

 

----

 

 

話は変わるけれど、僕は山車(だし)祭りを観に行くのが好きで、数えてみると昨年は17の山車祭りを観に行っていた。我ながらよく行ったと思う。

一応説明しておくと、山車というのは祭礼の時に出てくる出し物で、簡単に言ってしまえば車輪のついている神輿のことだ。神輿が担ぐのに対して山車は車輪がついているから曳くことができる。だから山車の出る祭りを「曳き山祭り」と呼ぶ地域もある。僕の住む愛知県は全国的に見ても山車祭りが多い地域で、小さい祭りも含めれば県内だけでもなんと150ほどの山車祭りがあるそうだ。ユネスコ無形文化遺産に登録されている33の山車祭りの実に3分の1は東海3県に集中している。(どうして僕が山車祭りが好きかということについては、またの機会に書くことが出来ればと思う。)

で、この山車祭りなのだけど、今春はコロナの影響でことごとく中止に追い込まれている。まぁ、男たちが密に重なり合って、大きく掛け声を発しながら山車を曳くのだから、それが屋外だといえ中止になるのは当然かもしれない。札幌の雪まつりですらクラスターが発生したのだから、山車祭の危険度はその上をいくはずだ。

なんてことを考えていて、ふと思い出したことがある。それは祇園祭のこと。

祇園祭といえば京都を代表する、そして日本の山車祭り代表する一大イベントで、7月1日から一ヶ月にわたって行われる夏の京都の風物詩だ。僕も昨年見に行ったけれど、市中を練り歩く山鉾の大きさと数には本当に圧倒される。今年はコロナの影響で春の祭りがほぼ全滅状態になってしまい、このままいけば当然夏の祭りも開催が危ぶまれるはずで、特に祇園祭のように全国から人が集まるような祭りは開催したとしても規模が縮小される可能性が高い。でも、あれ?と思う。祇園祭ってそもそも疫病を鎮めるのが目的じゃなかったっけ?

気になってWikipediaを見てみるとやっぱりそうだった。祇園祭はそもそも疫病の流行によって御霊会が行われたのが始まりだった。もう1000年以上も前の話。京都の高温多湿な土地柄が、急激な人口増加や上下水道の不備によって、マラリア天然痘、インフルエンザなど様々な疫病を流行らせる要因となってしまった。もちろん当時はウイルスだ細菌だなんて知識はないから、流行の原因は疫神というスピリチュアルな存在になってくる。その疫神を鎮めるために始まった祭りが祇園祭だった。

 

なんだか皮肉な話だなと思う。疫病を鎮めるために始まった祭りが、疫病のために中止になるのかもしれないのだから。当時の人に言わせたら「今年こそ祭を開催しろよ!」ってなるのだろうけれど、もちろんそうはいかない。というか、もしタイムスリップできるのなら是非とも教えてあげたい。「祭なんて逆効果だよ、3密のうち2密を満たしてるよ!」って。1200年という月日の長さをひしひしと感じる。

残念だけれど、今年祇園祭の通常開催はきっと難しくなる。あの雄大な山鉾を見ることはできないかもしれない。ただ、祭の開催が無理だったとしても、来年は疫病で亡くなった人を悼む祭りとして、あの雄大な山鉾巡業を見ることを願ってる。そうやって受け継がれてってくれたらと思う。

 

美しさ(神様のプログラミング)

f:id:tomotom:20200203232826j:plain

 

----

 

暮れの空を眺めながら、その美しさに少しだけ鼓動が早くなるのを感じる。

明けの空よりも、澄んだ青空よりも、ましてや雨空なんかよりも、暮れの空に一番魅力を感じてしまうのは何故だろう。大寒も過ぎて冬の底。夜の帳が下りる少し前の、あの空の色。

人の感じる ’美しさ’ って本当に不思議だ。芸術作品でも何でもない、ただの空のグラデーションにここまで美しさを感じてしまう。その理由について、誰かがどこかに回答を書いてくれているの?そもそも、それは言語化できるものなの?

そんなことを考えながら、冬の夕方。 今年ももう一ヶ月が終わる。

 

 

----

 

 

人の持つ感覚や感情、心の動きには全て理由がある。

例えば、僕たちが甘いものを食べるのを止められないのは、自然界において糖分が貴重な存在だからなんだそうだ。自然界では甘い物を食べられる機会は少なく、食べることのできるタイミングが訪れたら一気にたくさん摂取しなくてはならない。甘いものは別腹だ、なんて言うのは決して食いしん坊の言い訳なんかではなくて、糖質を多量に摂取するようにと遺伝子にプログラミングされているからだ。その反対に、苦いものを吐き出してしまうのは身体に害がある食物を取り込まないためで、だからこそ苦味なんていう一見すると不快で邪魔なだけの味覚が存在する。男性が女性の胸に興奮するのは、二足歩行するようになった僕たちの祖先がお尻にあった発情のサインを胸に移行させたからだし、女性が男性の筋肉に惚れるのは、そこに自分や子供を守ってくれる生物としての強さを感じるからだ。人間に喜怒哀楽などの感情があるのだって、集団で社会生活を送っていくためには、感情を使ったコミュニケーションが必要不可欠だからだろう。そうやって、全ては「生きること」を大義として存在している。僕たちはそうやって進化してきた。もちろん ’美しさ’ を感じる理由だって例外じゃない。

スポーツを観ていて僕たちがアスリートの身体に美しさを感じるのは、人間が美しいと判断する基準にたまたまアスリートのフォルムが当てはまった訳ではなくて、アスリートの生物として優れた身体を美しいと感じるよう神様がプログラミングしたからなんだと思う。健康的で優れた身体、整った骨格を僕たちは生物として欲する。だから、生物としての優秀さ=美しさ、という方程式が僕たちの遺伝子の中に書き込まれている。

では、暮れの空を美しいと思うのは何故なんだろう。それは「生きること」に関係があるんだろうか。「生きること」を大義とした感情の外側にも ’美しさ’ ってあるんだろうか。

 

----

 

僕たちはしばしば儚いものに美しさを感じる。桜や花火、あるいは命とか。

これについて僕は「そもそも美しいものが儚さによってより美しくなる」と理解していたけれど、それはどうやら間違いなのかもしれない。本当は「儚いこと、失いたくないこと、それが ’美しさ’ 」なんじゃないかと思う。

’儚い’ という感情は失いたくないものにしか抱かない。失っても惜しくないものに対しては、それがいくら短命であっても ’儚い’ とは言わない。桜(春)や花火(光)を僕たちは “生物的に” 失いたくないと感じるはずだ。そして、それが短命に終わると気づいたときに ’儚い’ という感情が生まれて美しさがバーストする。美しいから失いたくないのではなく、失いたくないから美しいと感じる。先にも書いたアスリートの身体もそうだ。生物として優れた身体、遺伝子を失いたくないと僕たちは本能的に感じているんだろう。その感覚が美しさへと変換される。

そう考えると、暮れの空の美しさにも合点がいく。

夜行性でない僕たち人類の祖先にとって、夜は恐怖の時間だった。視界がなくなり、獣に襲われる危険度がぐっと増す闇の時間。彼らにとって太陽や灯はどれだけ有難かっただろうか。だからこそ人間は太陽や火を崇め奉ってきた。夕暮れはそういった神である光が闇に飲み込まれていく時間帯だ。やっぱり「生きること」を大義としている。闇は死を近づける。だから僕たちは太陽の光が失われることを恐れる。

失いたくないものを美しいと感じるよう遺伝子の中にプログラミングされているのならば、夕暮れ時の空は最も美しい空だと言っていいのかもしれない。

 

----

 

そして、失いたくないもの=美しい の方程式は当然、人間に対しても使うことができる。

僕たちは愛する人を美しいと思うけれど、それは美しいから愛しているわけではないことが多い。もちろん美しいから愛している場合もあるだろうけれど、多くの場合はむしろ逆で、愛しい→(失いたくない)→美しい、の順番に感情は動いているはずだ。愛しくて失いたくないと思うからこそ美しく感じる。これってわりと、恋愛と美に関する真理かもしれない。

よく好きな異性のタイプを訊かれて「好きになった人がタイプ」だなんてボヤかす人がいるけれど、それってボヤかしているようでいて、実際は嘘偽りのない本心だったりする。だって、好きになった人を美しく感じるよう神様がプログラミングしてしまったんだから。愛している人を美しく思ってしまうんだから、その言葉に嘘はない。まぁ、女の子に「えー、好きになった人がタイプですー」なんて答えられたら、そういう話じゃねーよって思うけど。

 

 

----

 

 

暮れゆく空をぼんやり眺めながら、美しさについてあれこれ考える。

電球が発明される以前は、この空はもっと美しく感じられたのかな、とか、自然を美しく感じるのは生き物としての本能なのかな、とか。

僕たちが何かを美しいと感じる時、それは同時に失いたくないと思っている時だ。失いたくないもの、愛しいものが増えれば、世界はどんどん美しくなる。そんな当たり前のような世界の公式に気がつく冬の夕暮れ。これからも、どんどん失いたくないものを増やしていきたいなぁ。

 

月日の流れとピダハンのこと

f:id:tomotom:20191231034150j:plain

 

----

 

月日の流れは本当に早い。

夏の真ん中に「終戦記念日が~」という書き出しでブログを書いて、それからしばらく経って思い出したようにブログを投稿したのが前回で11月のこと。そして気がつけば今はもう年末だ。季節ごとに友達へ手紙を送っているような、そんな感覚に近い。

以前はもっと更新頻度を上げたいと思っていたけれど、最近ではそうも思わなくなった。ふと自分が書きたいと思った時に書いて、それを知らない誰かが偶然読んでくれたらそれで良い。それ以上のことは求めていないし、その気持ちは多分これからもずっとそうだ。

路地裏の猫にすら話すのを躊躇するような、毒にも薬にもならない戯言。喫茶店で友達と喋って、一時間後には思い出すことも出来ないような、そんな下らない話をこれからも書いていきたいと思う。

 

今年もありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

 

 

-------

 

 

それにしても、月日の流れは本当に早い。

この月日の流れが早く感じる原因については、いろんな人がいろんな事を言っているけれど、僕個人としては以前から日本の ’四季’ が影響しているんじゃないかと睨んでいる。

ご存知の通り日本は世界的にみても四季のハッキリとした地域で、一年を通して目まぐるしく気候が変わっていく。四季という名が表す四つの季節だけでなく、二十四節気なんていうさらに細かい区分まで存在する。365日を24の季節に分けているってことは、約2週間で一つの季節が終わる計算になる。早すぎる。大げさでなく日本は常に季節の変わり目だと言っていい。

そして、そんな細かい季節区分で生活する僕たちは季節ごとの行事に追われている。ハロウィンだクリスマスだ正月だといった年中行事はもちろん、衣替えしなきゃとか、お歳暮送らなきゃとか、夏だスイカ食べよう、秋だサンマ食べよう、冬至だカボチャ食べようなんて、季節の呪いに追われ続けているわけだ。そのことが僕たちに月日の経過を早く感じさせている要因なんじゃないかと思ってる。

ちょっと強引かもしれないけれど、例えるなら、何もない荒野を歩くのは永遠のように感じてしまうのに、賑やかな街をウィンドウショッピングして歩くのはあっという間に感じてしまうような、種類の多い海鮮丼はあっという間に食べてしまうのに、しらす丼は思ったより箸が進まないような(いや、それは違うか)、そんな感覚に陥っているのかもしれない。

だからきっと四季のはっきりしない常夏の国なんかで暮らせば、日々がゆったり過ぎていくんだろうと思う。南の島でハンモックに揺られながらトロピカルジュース飲んで、BPMのうんと遅い音楽を流したりしてさ。まぁ、多くの人は2週間ぐらいでそれを「退屈」と呼ぶようになるんだろうけれど。

 

----

 

月日の流れや時間の経過を考える時にいつも思うことがある。

それは時間の進み方の捉え方で、①時間の中を僕たちが進んでいる②僕たちの中を時間が進んでいる、のどちらが時間の捉え方として正解なんだろうということだ。これはあまりにも感覚的だし、抽象的な表現だから自分でも何を言っているのかわからないのだけれど、前者はイメージとして年表のような時間軸の中を僕たちの世界が進んでいく捉え方で、後者は定点カメラを置いて花が朽ちていくのを眺めているようなイメージだ。うん、解説しても全然わからないぞ。

これは主観的な捉え方と客観的な捉え方の違いなのか、と問われれば、んー、それも自分の中ではしっくりこない。過去未来を踏まえた捉え方と、刹那的な捉え方の違いといった方がしっくりくるのか。まぁ、そもそも時間の捉え方なんて、それに正解とか不正解は無いんだろうけど。

ただ思うのは、僕たちはいつだって過去や未来の事を考えたがるし、それらを視覚的にして理解したがるということだ。だから計画を立てるし、それを書き起こすし、効率よく進めようと思考する。夢を思い描くし、過去を映像や絵画によって理解し、そこから学ぼうとする。だからイメージとしては前者、年表のような時間軸の中を僕たちが進んでいるような捉え方で、僕を含め多くの人たちは生きているんじゃないかと思う。

でも、だ。 時間はいつだって、僕の前には「現在」しか現れない。未来だってその時になれば「現在」だし、過去だってその時は「現在」だった。過去や未来は想像できても体感できない。ならばいっそのこと「現在」に集中してみたらどうだろう。そうすれば、月日の経過に変化があるんじゃないだろうか。

海鮮丼の例に戻すと、海鮮丼を食べながら次はイクラに手を付けようとか考えていても、海鮮丼の中のしらすゾーンを口に入れた時には、しらす丼を食べている時と同じ「現在」がある。どっちも現在はしらすを食べている。でも「過去マグロ」で「未来イクラ」の「現在しらす」と「過去も未来もしらす」の「現在しらす」では、捉え方も感じ方も全く違ってくるはずだ。両方とも同じ「現在しらす」なのに!(俺は何を言ってるんだ?)

話を戻すと、月日の経過速度なんてのは、海鮮丼(まだ海鮮丼の話をするのか‥)ばかりを食べている現代の僕たちには、早く感じて致し方ない事なのかもしれない。遅く感じたいのなら、味に変化の無いしらす丼を食べるしかない。でも、現代社会に生きている僕たちはいつだって海鮮丼の中のシラスを食べているわけだし、それは飽きがこなくて美味しいと思って食べているんだから、そこは諦めるしかないんだろうな。なんて書いてたら海鮮丼が食べたくなってきてしまった。

 

-------

 

四季の移り変わりがほとんどないアマゾンに、ピダハンという狩猟採集民族が暮らしている。彼らの社会は、現代社会で暮らす僕たちには到底理解できないような異質なものだという。

まず、彼らの社会には世界中どこの社会にでも生まれるであろう宗教的な儀礼が存在しない。葬式や結婚式もないし、神話や口頭伝承もない。さらには曾祖父母や従兄弟の概念もない。芸術作品どころか道具類もほとんど作らないし、狩猟採集はするけれど保存食も作らない。さらに彼らには左右の概念や数の概念、色の名前すらもないという。どういうことだ?それで社会って成り立つのか?

彼らの文化を研究したダニエル・L・エヴェレット氏いわく「叙述的ピダハン言語の発話には、発話の時点に直結し、発話者自身、ないし発話者と同時期に生存してきた第三者によって直に体験された事柄に関する断言のみが含まれる」のだという。

ピダハンの言語には、過去や未来を示す時制が限定的にしか存在しない。彼らには直接体験の原則があって、自分が実際に見たり体験してない事柄、つまり僕らが「過去」や「未来」と呼ぶものには関心を示すことがない。だから曾祖父母やいとこの概念もなければ、神話や伝承もない。保存食を作らないのもそれなら納得できる。彼らには「現在」しかない。そして「現在」しか語らないのだから、数や色の名前のような抽象的・記号的な概念を必要としない。

彼らは、今その時を生きている。だから他の文化にも関心がなく、それらと比較することももちろんない。自分の今が最高だと思っているから、自身に降りかかった不幸を笑い、過酷な運命を淡々と受け入れることができる。彼らはよく笑うんだそうだ。

 

このピダハンの話を聞いて僕が真っ先に思ったのは、彼らの時間の感じ方についてだ。

「現在」しか考えていないピダハンと「過去」や「未来」に囚われている僕たちでは、時間の感じ方が絶対的に違うはずだ。~から、~まで、という「過去」や「未来」を思い描けるからこそ、僕たちは時間を認識できているはずだ。だから「現在」しかない彼らの世界では、生きることは「永遠」に近いんじゃないだろうか?でも、永遠に生きるって、それは生きていると言えるのか?それって幸せなのか?なんて疑問がどんどん湧いてくる。まぁ、現代社会で暮らす僕たちの価値観で彼らの幸せを測るのは野暮なのかもしれないけれど。

 

----

 

アマゾンの気温は一年を通してほぼ変わらないという。降水量こそ変われど、乾期はない。基本的に一年中ずっと蒸し暑い。ピダハンの社会を作り上げた要因が、この気候にあるというのは容易に想像ができる。

だって日本の気候ではそうはいかない。農耕民族である僕たちは、季節の奴隷になって暮らしていると言っても過言ではない。春に種を蒔き、酷暑を乗り切り、秋に収穫した食物を、厳しい冬に備えて貯蔵する。ピダハンのように現在だけを考えていては生活する事が出来ない僕たちは、四季によって生かされている。そして四季は生活にリズムを作る。リズムはビートを生む。心臓の鼓動を英語でハートビートと言うけれど、まさにビートは生きている証だ。

 

光陰矢の如し、なんて言って僕たちは月日の流れの早さを嘆くけれど、四季のある日本ではそれこそが「生きる」ってことなのかもしれない。そう考えると、月日の流れが早いのもなかなか良い事のように思えてくる。

 

今年も早かった。よく生きたな。お疲れ様です、自分!

 

--------

 

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

  • 作者:小川 さやか
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/07/14
  • メディア: 新書
 

 ピダハンについての話はこの本から

 

雑記 とりとめもなく(秋についてのいくつか)

f:id:tomotom:20191105033916j:plain

 

----

 


季節の始まりはいつだって突然なのに、終わるときは何故だか曖昧。

 

 

------------------------------------

 

 

深夜、遠くを走る電車の走行音がいつになく明瞭に聞こえてくる。

秋になって昼間と夜の温度差が大きくなると、上空に空気の層ができ、それに遮られた音は空へ抜ける事が出来なくなる。逃げ場を失った電車の走行音は、遠くの僕の住む家までガタンゴトンとやって来る。今晩は随分と気温が下がるらしい。電車の音がクリアに聞こえるようになって、あぁ秋になったんだなと気がつく。空の反響音に秋の訪れを教えてもらう。

 

 

------------------------------------

 

 

秋がきて金木犀の香りが‥、なんてお洒落なセリフを言えたらいいけれど、恥ずかしい事にここ数日の間、金木犀の香りを思い出せないでいる。甘い香りだってことはなんとなく覚えているのに、そのディティールは思い出せない。もちろん知らない訳じゃない。嗅いだら、あーこれだ!となるんだろうけれど、いざ思い出そうとしてもギリギリのところで出てこない。銀杏の匂いならすぐにでも思い出せるのに。

この、嗅げば分かるけれど思い出せないという感覚は、漢字を読めるけれど書くことができない感覚になんとなく似てる。ちなみに僕の中で読めるけれどギリギリ書けない漢字の筆頭は正に「金木犀」だ。金、木、は書けるけれど「犀」ってなんだっけ?ギリギリで書けない。普段はまず使わない漢字だし、動物のサイ(犀)だよと言われてもピンとこない。犀を漢字で書くことなんてまずない。「銀杏」なら迷わず書くことが出来るのになぁ。これもまた。

 

なんて思っているうちに「金木犀」と「銀杏」の対比構造に気がつく。

「香気」と「臭気」、「金」と「銀」、「思い出せない漢字」と「思い出せる漢字」、「思い出せない匂い」と「思い出せる臭い」

って、今年一番どうでもいい気付きだ。秋になって今年一番を更新。

 

それにしても、銀杏が「銀」なのは何故なんだろう。ネットで調べてみると、銀杏の実が銀白色であるのが由来らしいけれど、どうも納得がいかない。だって、イチョウの葉は金木犀の花とは比べ物にならないくらい圧倒的な鮮やかさで秋の街を金色に染めているじゃないか。

 

 

------------------------------------

 

 

秋になって、カボチャが食べたくなって、南瓜プリンと南瓜のチーズケーキを作った。

お菓子を作る度に思うけれど、このお菓子作りってやつは本当に難しい。少しでもミスを犯すと形すらまともに整わない。持論ではあるけれど、お菓子作りが得意=人として優秀だと言ってもあながち間違いではないはずだ。それくらいお菓子作りは人の総合的な能力が問われる作業だと思う。

例えば、レシピ通りにおいしく仕上げるには、材料を正しく調達し、分量を正しく計測する正確性が必要になる。そしてそれらの分量を意図して変えた場合には、他の食材の分量や焼き時間も的確に変更できる想像力や柔軟性を持っていなくてはならない。さらに、作業を無駄なく効率良く進めるためには正しいプライオリティの判断ができなければならないし、洗い物をしてキッチンを綺麗にするまでを抜かりなく行うには、仕事をやり遂げる責任感が必要だ。そして何より、お菓子を作って人に振舞おうと思うには、それなりのサービス精神や優しさが無いと成り立たない。人間力が試される作業だと言っていい。冗談で無く、企業の人事担当は採用試験に「お菓子作り」を加えても良いのではないかと思う。きっと優秀な人材を選別できるはずだ。

ちなみに言っておくと(あえて言う必要はないけれど、誤解されないように伝えておくと)自分はお菓子作りがとても下手だ。今回作ったチーズケーキは羊羮のような歯ごたえになった。何を間違えたんだろう。

f:id:tomotom:20191105035505j:plain f:id:tomotom:20191105035559j:plain

 

------------------------------------

 

 

「春夏に恋をしたくなるのは若い人で、大人になると秋冬に恋をしたくなる」

というロマンチックな文章がスマートフォンのメモ機能に書かれていて、きっとこの言葉を思いついてメモした背景には、この事実には生物学的な理由があるはずだから後で調べてみよう、なんて気持ちがあったはずなんだけれど、今の気分ではそんな事どうでもいい。この言葉の持つ、全身痒くなりそうなキザっぽい雰囲気が面白い。生物学的な理由なんていらない。理屈はロマンチシズムを台無しにする。

 

 

変わる数字 変わらない数字

f:id:tomotom:20190815180551j:plain

 

----


終戦記念日が近づくにつれて、テレビで「戦後74年」の文字を見かけることが多くなった。この「74」という数字に対して、「もう」と思う人もいれば「まだ」と思う人もそれぞれいるだろうけれど、自分は毎年のように、もうそんなに経つのかぁ、なんて驚いている。

もちろん自分が生まれたのは戦後も戦後、大戦の面影なんて一切残っていない1985年。だから、物心ついた時から戦争は随分と昔の出来事という認識でいるけれど、それでも毎年のように戦後の年数に驚くのは、自分の中で戦争は「50年前の出来事」という認識をしてしまっているからなんだと思う。

 

----

 

終戦50周年は1995年。僕は10歳だった。同じ年の上半期には阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件といったセンセーショナルな出来事があって、それまで半径数メートルの世界でしか生きていなかった子供の僕にも、明確に「外の世界」が感じられる年だった。家族や友達の外にも無限のように世界は広がっていて、現在進行形で様々な事件が起こっている。そんな当たり前のことを理解した1995年。

テレビでは連日のように震災やオウム関連のニュースが流れていて、10歳の僕にはその全てがインパクトの強いものだった。テレビを通して社会を知ることで、自分が少し大人になった気がした。そして夏になると終戦50周年を記念した特番が流れ始めて、恥ずかしながらその歳になって初めて「戦争」というものを理解した。いろいろな番組で「終戦50周年」の画面に文字が踊っていたこともあって「50」という数字は強く脳裏に焼き付いている。この時期に僕は「戦争」=「50年前の出来事」という認識をしてしまった。

 

----

 

子供の頃に覚えた数字というのは、たとえそれがアップデートを必要とする数字だとしても、意外なほどにそのまま頭に残っている。

僕にとっては「終戦50年」がその顕著な例だし、他には「世界人口」なんかもアップデートが追いついていない数字の一つだ。

僕が子供の頃に覚えた世界人口は60億人だった。なのに、数年前に70億人を超えたと知って驚いたことがあって、さらに今では77億人に膨らんでいるという。この20年間で17億人も増えたのか?いくらなんでも増えすぎだ。少子化高齢化が叫ばれている日本の人口だって、昔は「約1億人」で覚えていたのに、現在は1億2631万人もいて「一億総◯◯時代」というテンプレートが使いづらくなっている。数字はどんどん変わっていくのに、頭の中でアップデートが全然追いついていない。

その他にも、例えば歴史年号なんかも変わっているものがあるらしい。僕が子供の頃、大化の改新が起きたのは「無事故(645)で良かった大化の改新」と語呂合わせで覚えていたから、もちろん645年。ところが、今の教科書で大化の改新は646年と表記されているそうだ。歴史の教科書まで変化していく。

知らないうちに数字はどんどん変わっていく。

 

----

 

その一方で、統計や歴史に比べると理数系の数字は変わることがないから安心できる。子供の頃に覚えた、理科の教科書に載っていたような数字は今でも現役だ。

例えば、音速は秒速340mで、光速は秒速30万km、みたいな数字。光は太陽まで8分で到達して、一秒間で地球を7週半回ることが出来るといった数値は、今も昔も変わらない。そして秒速30万kmで地球を7週半回れるということは、地球の外周は4万kmということで、この距離も変わらない。

ちなみに外周が4万kmぴったりなのは、そもそもメートルの定義が「赤道から北極点までの長さの10000万分の1」と定められているからで、つまり「地球の外周が4万キロ」なのではなくて「4万キロが地球の外周を指している」ことになる、なんていう、理科の教科書の隅っこに書いてあったような(そしてテストには出なかった)数字は、今も昔も変わることがない。

 

----

 

と、思っていたけれど、念のためグーグルで検索してみて驚いた。

 

地球の外周はぴったり4万kmだと、その理由も含めて覚えていたのに、実際のところ地球は完全な球体ではなく楕円になっているから正確には40,075kmなんだそうだ。さらに光速は秒速30万kmよりもちょっと遅いらしいし、太陽までは正確には8分20秒かかるらしい。なるほど。小さい頃に覚えた数字はそもそも正確じゃないから、大人になったら結局アップデートしなきゃいけないのか。

思えば、「ゆとり教育」を受けた世代は円周率を「3」から「3.14」 にアップデートしなきゃいけない訳だし、理科や数学の教科書にもアップデートが必要な数字は溢れているのか。

 

結局、世の中は変わる数字ばかりなのかもしれない。こっちは自分の年齢をアップデートしていくだけで精一杯なのに、気を許しているうちに周りの数字が全て移り変わっていく。

まぁ、生きるって、きっとそういうことなんだろうけど。

こんな隙にも、世界人口は増え続けているはずだし、僕の体の中だって、細胞の数が増えたり減ったりを繰り返しているに違いない。全ての数字は移り変わる。

 

----

 

全ては移り変わっていく。そんなタイトルが付いたジョージハリスンの曲がある。

1970年に発表されたビートルズ解散後初のソロアルバムにして、ロック史に残る大名盤『All Things Must Pass』のタイトルトラックだ。この曲の発表は1970年だけれど、僕はその前年の1969年に録音されたdemoバージョンが大好きで、今でもよく聴いている。

それにしても、1969年って随分と昔だなと思う。半世紀も前だ。僕の中でビートルズは30年前に解散したバンドという認識だったのに、気がついたら50年前のバンドになっている。これも自分の中でアップデートできていない数字の一つ。

 


The Beatles - All Things Must Pass (assembled from rehearsals

ジョージの弾き語りバージョンが貼り付けられなかった

 

 

17日 祇園祭り つぶやき

f:id:tomotom:20190719215206j:plain

 

----

 


午前 3:35

真夜中、激しい雷雨で目を覚ます。

雷光と雷鳴のラグから、雷が近くで発生しているのがわかる。スマホで検索してみると、市の南の方では避難警報も出ているらしい。ベッドから起きて窓を閉める。ベランダを叩く雨粒の高音が消えて、室内にはくぐもった低い雨音だけが残される。ゴーー。DJがフィルターのツマミを回して高音をカットしたみたいだな、なんて思いながらベッドに倒れこむ。

今年もまた、夏がやってきた。

 

 

午前 8:20

駅のホームで、いつ到着するかもわからない電車を待つ。昨晩降った大雨の影響で、大幅な遅延が起きているとのこと。次の発車を知らせる電光掲示板がころころと変化していくのが、駅職員たちの混乱を物語っている。この時間帯の遅延は影響が大きい。とはいえ、ホームで電車を待つ人たちは大声で不満を訴えることもなく、苛立つ様子は一切見せない。何事も無いかのようにスマホをいじっていて、みんな大人だなと思う。まぁ、そういう自分も苛立ってはいないけれど。

この平常心を維持する感覚って日本人っぽさなんだろうか。大らかなのか無関心なのか判然としないこの感じ、嫌いじゃないのだけれど、ことに民主政治においては悪い方向に作用しているのかもしれない。今週末は選挙だ。行かなきゃ。

 

 

午後 12:20

京都までは在来線で2時間13分。別に急いでいないから新幹線代をケチって在来線で行こうと考えたのが間違いだった。祇園祭の山鉾巡業は13時頃までだから観る時間は十分あると思っていたのに、電車が遅延してしまい京都までなんと4時間。現在12時半。なんてこった。新幹線で来れば良かったなぁ、なんて思ってもそれは後の祭り。そう、文字通りの「後の祭り」。

 

 

午後 2:17

暑い。昨日の時点での天気予報は曇りで、50%の確率で雨も降ると言っていたのに、ふたを開けてみればこの快晴だ。まぁ、暑いけれど雨に比べれば全然いい。むしろ有り難いし、何より目出度い。なんせ今日は祭りだ。

祇園祭のクライマックスである山鉾巡業が行われる日。電車の遅延であまり観られないかもと心配していたけれど、それは全くの杞憂だった。13時頃までに規定ルートを巡業した後も、山鉾はそれぞれの蔵へ戻る必要があるから、その道中に観る時間は十分あって、しかも大通りではなく路地を通るので、近くで見ることができ大迫力。普段、尾張地方の祭りで数台の山車を見ている自分には、祇園祭の山鉾はその数(前祭で23基!)、大きさ(鉾は地上25m!)ともに段違いで、まるで『アベンジャーズ』を観ている感覚だった。ワクワクが止まらない。

 

 

午後 2:42

それにしても、どうして山や鉾に掛けてあるタペストリーは「砂漠を歩くラクダ」や「モスクをバックに飛翔するフクロウ」というように、異国をモチーフにしたものが多いんだろう。今度、調べてみよう。

 

 

午後 6:12

八坂神社で神幸祭神輿渡御を観る。祇園の交差点が人で埋め尽くされる。

祭りを観ているとつくづく「曳く」「担ぐ」が重要な意味を持っているんだと感じる。その事についてずっと考えていて、忘れないようにとスマホに書いたメモが「東ヨーロッパと神道の類似性」だった。どういう事だ?自分でも意味がわからない。

 

 

午後 8:45

お腹が痛くなって駅のトイレへ。トイレでもスピーカーからはずっと祭囃子が流れてる。「祭の後の静けさ」なんてこれっぽっちもない。気分が高揚するぜ。