ハナムグリのように

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風化について

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「風化」という言葉はとても詩的だなと思う。

「風」に「化ける」と書いて風化。もちろん実際は風に化けているわけではない。雨風にさらされ、もしくは微生物に分解されてその姿を失う。土に還る。それを「風に化ける」と表現する。素敵な表現だと思う。詩的。

 

思い返せば、姿を失うことのメタファーとして風を用いる歌詞は多い。例えば、秋川雅史さんの『千の風になって』では死ぬことを「風になって」と表現している。他にも、前回のブログで触れたはっぴいえんどの『風をあつめて』もそう。東京オリンピックによって開発が進み、失われてしまった懐かしい東京の風景を「風」と表現している(と自分は解釈している)。

辞書にこそ載ってはいないけれど、日本語の「風」には「消失」という意味を内包しているんだろうと思う。

ちなみに「風化」は英語だと「weathering」だそうで、weatherは「天気」だから英語でも表現のニュアンスは似ているのかもしれない。

 

 

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人類は風化してしまうのか。なんて途方もない事を最近考えている。

人類が絶滅した後、人類の痕跡はいつまで残るのか。どのくらいで風化してしまうのか。人類の後に登場する知的生命体は、その痕跡を見つけることができるのか。

そんな、考えたところで何の意味の無い未来の話に思いを馳せている。

 

地球誕生からの46億年を一日に換算すると、人類の誕生は23時59分58秒頃だという。でも、それはあくまでホモ・サピエンスが誕生した数十万年前が23時59分58秒なのであって、文明を獲得した期間なんてものはほとんど「無」に等しい時間でしかない。その「無」に等しい人類の痕跡は、あと何秒、いや、0.何秒の間、地球上に存在することができるんだろうか。数秒後には風化して完全に無くなってしまうんだろうか。

 

人類の作ったほとんどの物は、時間が経てば風化してしまう。都市や道路は数百万年(地球にとっての数分だ)かかれば完全に風化してしまうらしい。

ではプラスチックはどうだろう。プラスチックは自然環境では半永久的に分解されないと言うけれど、その「半永久」は何年なんだろう。100年?1000年?一説によるとビニールで50~100年くらい、硬いプラスチックのカードだと1000年くらい分解にかかるそうだけれど、でもそれは完全に分解されて土に還るんだろうか?プラスチックの粉となって土に混ざるのか?その成分は未来の知的生命体によって発見されるんだろうか?わからない。

 

でも、と思い出す。

少なくとも僕たちは数億年前の恐竜の化石を発見できている。もっと前の生物や植物の化石も発見できている。風化せずに石化したものは発見できている。

 

 

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当然のことだけれど、ほとんどの人間は死んでも化石にはならない。

化石になるには様々な条件を満たさなければならなくて、一つの骨が化石化する確率は10億分の1だとも言われている。ノンフィクション作家のビル・ブライソン氏によると「全ての化石は奇跡」なんだそうだ。それくらい化石になるのは難しい。

では現代人はどうだろう。ただでさえ化石になるのが難しいのに、文明が起こって以来、多くの場合はその文化に従った形で埋葬されてきた現代人が化石になるなんてことがあるんだろうか。そして、もし仮に化石になったとして、地球時間で言うところの数十分間繁栄した恐竜ならともかく、2秒間繁栄しただけの人類が何億年後かに見つかるんだろうか。そして、そこに文明の存在を残す事ができるんだろうか。

これまで地球上に存在した全生物のうち、化石になっている生物種の割合は0.1パーセント以下であるとも言われている。人類はその0.1パーセントになる事が出来るのか。

わからない。確実に言えることは一つだけ。

人間を含め、ほとんど全ての死は「石」ではなく「風」になる。

 

 

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結局、人類の痕跡は地球のタイムスケールで見たとき、無いも同然なのかもしれない。

人間の全ては、残像にも残らない一瞬の明滅なのかも。

 

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しかし、物理学者のアダム・フランク氏は、人類の痕跡は未来に残る可能性があると言う。

その最も有力な痕跡は、なんと空気中の「炭素」。人類が化石燃料を使用することによって、空気中にある天然の炭素同位体と人工の炭素同位体の比率が変化するので、それを検出できれば人類の痕跡を見つけられる可能性があるんだそうだ。なるほど!(いや、正直ちんぷんかんぷん)

 

空気中の炭素か。

そう考えると「風化」という言葉が俄然リアルなものに感じる。

何億年も先の未来、その時代の科学者が風の中に含まれる炭素を測定したとき、そこに人類の痕跡があるかもしれないわけだ。風化した人類の痕跡が。

 

つまり、今は「風化」という言葉に詩的なニュアンスを感じているけれど、何億年も先には「風化」は写実的な表現になっているかもしれない。

ん、いや、そもそも何億年後に「風化」なんて言葉はないか。