ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

ここ数日

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自分の影を集めてます。 比喩でなく。

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風邪で体調が悪いままバイトに行って、死に物狂いで就労。翌日、体が幾分か楽になったので夕方から中古レコードショップに行き、その後曽我部恵一バンドのライブを観にクアトロへ。相変わらず素晴らしいライブ。心の底から楽しかった。気分が高揚し、風邪だった事なんて忘れてしまったけど、次の日は朝から学校だと考えて少し落ち込む。帰宅後、先日アマゾンで購入した『お父さんは心配症』を読み、そのまま就寝。翌日、学校へ行き、夜からはバンドの練習でスタジオに入る。メンバーに映画『ロスト・イン・トランスレーション』のサントラを借りる。帰宅後、学校の課題をやり就寝。録画しておいたドラマ『ER』は後日見ることに。
そして今日。本日も学校。天気が良いので、昼食は学校近くの公園で一人ピクニック。虫が多い季節になったと実感。そして辟易。ゼミの途中、先生が一分間くらいおキレになられて(なんて嫌味な書き方なの!)、自分とは無関係のことだったのに、少々たじろぐ。女性のああいった情緒不安定さは、男性から見ると神秘的。(そして迷惑。でも嫌いじゃない。) 
帰りの電車の中、そこから見える夕焼けを、デジカメの動画機能で録る。デジカメの容量と電池の容量が持つ限り、ただひたすらに録り続ける。そう、ただひたすらに。

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今日、駅の駐輪場で後ろから声をかけられた。 「○○君?」
振り向くとS君がいた。
僕はS君のことをあまり知らない。Sというのはあだ名だから、本名も知らない。彼は僕が小学一年生のころの六年生で、中学高校は僕と違う学校。つまり僕と彼の接点は、小学生のころ一年間同じ学び舎で過ごしただけで、それも最小学年と最高学年という関係だっただけ。つまり繋がりなんて無いに等しい。
彼は少し「変わった子」で、それをどう変わってるかと言うのはちょっと説明しづらいのだけど、僕の感じたことを(適切かは別として)率直に言うなら、彼は「分裂」ぎみの子だった。よく跳ねて、授業中も廊下を走っていた。小学一年の僕には、それは少し怖い存在でもあった。その後、僕は二年生になり、彼は小学校を卒業。彼が入学した中学は僕とは違う中学だったので、それ以降、学校で彼の姿を見かけることはなくなった。ただ、それでも近所を歩いていると、たまに彼が自転車で走ってるのを見かけることがあって、そんなとき僕は、あっS君だ、と思い彼のほうに目をやり、彼も僕のほうをじっと見る。一秒間くらい目を合わせ、そして彼は自転車で走り抜けていく。そんなことが三ヶ月に一回程度のペース、もしくはもっと稀にだけど、でも14年間くらい続いた。
そんなS君に声をかけられた。それも苗字で。「○○君?」 彼と喋るのはおそらく初めて。 あまりにも突然のこと過ぎて、僕は返す言葉も無く驚いた表情のままS君を見つめてしまった。またS君が口を動かす。「い、今、大学生?」 「そうだよ」と僕。 「4年生?」 「うん、そう」 ここまで会話したら、S君はいつもの様に颯爽と自転車で走り去っていった。何だったんだろう。そもそも、なんで名前を知ってるんだろう。それにどうして大学4年生だってすぐ分かったんだろう。どうしてまた僕に喋りかけてきたんだろう。 何にも分からない。
何にも分からないけれど、S君が僕の名前を思えていることは、そんなに悪い気はしなくて、むしろ嬉しいくらいだった。反吐が出そうな言葉を使うと、それは一種の「存在証明」のようなもので、うん、それはやっぱり嬉しかった。


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最近、良い事が起こらない。もちろん、嫌な事ばかりでは無いけれど、比率で言うなら嫌なことの方が圧倒的に多い。ただ、その殆どは自分の未熟さゆえに起こる嫌な事で、つまりそれらは自分のせい。身から出た錆。嫌なことなんて大体そんなものだったりする。だから、僕は人としてもっと立派にならなければならないんだ。それが、嫌なことに対する最大の予防策なんだ。
と、思ったことを忘れないうちに書いておく。