ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

「ファーブル昆虫記組曲」(自作)を聴いて

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人がどれくらいものを考えて生きているかは知らないけど、僕は相当考えていない部類の人間だと思う。
というのも先日、知り合いとギターを弾いて遊んでいたときのこと、僕は適当にギターを弾き適当な歌詞で歌っていたのだけど、そのとき僕の口から出てきた適当な歌詞は「ファーブル昆虫記」というものだけで、それ以上でも以下でもなく終始一貫して「ファーブル昆虫記」だけだったということがあるからだ。
たぶん、普段から物事を色々と自分なりに考えて生きている人間の口からは「ファーブル昆虫記」などといった歌詞は出てこないと思う。なのに僕に口から出てきたのは「ファーブル昆虫記」。ただそれだけ。こういった即興で歌詞を作って歌う行為は、普段その人がどんなことを考え、どれだけ自分なりの考えを持っているかというのが如実に表れる行為なわけで、そこで「ファーブル昆虫記」としか言えなかった僕の脳みそはものを考える力が乏しいのだと判断せざるを得ない。
もしも僕が昆虫マニアで普段から昆虫について深く考え、愛読書はファーブル昆虫記です、と力強く言い切れる人間なら「ファーブル昆虫記」と歌ってしまってもまだ納得できるかもしれない。けれど僕とファーブル昆虫記との接点は小学生の頃クラスの学級文庫に置いてあったなぁ、程度のものなのだから、これはもう、なんと言うか、恥じるべき話だと思う。なんでまた僕の脳みそはファーブル昆虫記なんて言葉をチョイスしてしまったんだろう。
これは二日前の話だけど、今更ながら後悔してる。しかも、さらに悲しいことに僕は「ファーブル昆虫記」と歌っているその時は決して恥ずかしいなんて思っていなくて、むしろ素敵な言葉だなぁと思っていたくらいで、だから調子こいて「ファーブル昆虫記組曲」と題して録音までしてしまっていて、今、僕のノートパソコンからは「ファーブル昆虫記〜♪」と歌う僕の声が垂れ流れている。12分の大曲。 死にたい。

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関係ないけど、大相撲が面白いぜ。