ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

カレーを食べながら考える「差別」とか「日本の未来」とか

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よく行くネパールカレー屋さんで昼食を取っていると、前の席の黒人男性が片言の日本語で料理の注文をしていた。注文を受ける店員さんも外国人(多分ネパール人)。これといって特別な光景では無いけれど、これからこんな光景はもっと増えてくんだろうなと、ぼんやり思う。

 

ここ数年、この街には外国籍の人が随分と増えた。カレー屋さんも増えた。

家の近所にはインターナショナルスクールも出来るらしい。その場所は、かつて僕が通っていた小学校のあった場所なのだけど、数年前に少子化の影響で他校と合併してしまい、ここしばらくは校舎だけが寂しく残されていた。それがこの度、晴れてインターナショナルスクールとして再稼働することになるという。

今年の4月から外国人労働者の受け入れ制度が拡大したことも考えると、今後この街にはもっと沢山の外国人がやって来るはずだ。

 

この街が国際的な、素敵な街になってくれると良いなと思う。

 

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先日、あるバラエティ番組で、コンビニで働く外国人労働者の日本語の間違いをネタにして出演者全員がゲラゲラ笑うという、最低な場面が放送されていた。当然、放送直後からネット上で問題視されたわけだけど、本当に(自分を含め)日本人というのは差別に対するリテラシーが低いんだなと痛感させられる。

 

日本は決して単一民族国家では無いけれど、日本列島に住む日本人の大半は大和民族だ。僕もそう。日本人の父母から生まれたし、たぶん死んだときにはお坊さんが来てお経を読んでくれる。願い事をするときは「神様、仏様」と言うし、端午の節句には柏餅を食べて、お正月には鏡餅を飾って、さらに数日後にはそれを食べる。そんな餅が好きな民族である僕たちは、日本にいる限り圧倒的にマジョリティだ。

そして多数派だったからこそ、差別がダメなことくらい頭では理解はしていても、現実的な問題にはとても鈍感なのかもしれない。圧倒的な多数派の中で生きてこれたお陰で、日本では差別することも、されることも無かったから。

 

誰だって差別がダメなことくらい知っている。テレビ番組で外国人労働者の日本語の間違いを嘲笑っていた芸能人だって、トランプ大統領の差別的な発言には眉をしかめるかもしれない。何故なら、アメリカにおいては日本人がマイノリティになってしまうから。ともすれば差別される側の人間になってしまうから。

結局、差別は自分がマイノリティにならない限りは、本当の意味での理解が出来ないのかもしれない。

 

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ドナルド・トランプが大統領に就任して2年が経った今でも、トランプの支持率は一向に下がらない。あんなに差別的な発言を連発しているのにも関わらずだ。遠く離れた日本から見ていると、そのことが不思議で仕方ない。

 

アメリカ(だけでは無いけど)の世論が右翼化していたり、白人至上主義が盛り上がってたりする背景には、白人が危機感を感じているからという話を聞いたことがある。

白人至上主義というと、有色人種より我々は優れている!なんてことを唱えている人たちのイメージがあるけれど、最近の白人至上主義者たちは自分たちがマイノリティになることを恐れていて、その恐怖心が有色人種を嫌う動機づけになっているらしい。もともとアメリカはイギリスから白人が入植して建国した“白人の国”だったのに、このまま移民が増え続ければ白人は少数派になってしまう!という危機感を持っているという。事実、アメリカの国勢調査局の予想では、2044年までに非ヒスパニック系白人が人口に占める割合は50%を割ることになる。日本人からすると、そもそもインディアンの土地を奪った’外国人’が作った国なのに何を今更言っているんだ、となるけれど‥。

 

ただそれは、自分が日本で圧倒的なマジョリティとして生きているからそんな風に思うのかな、とも考えてしまう。

例えばこの先、少ない労働力を補うために日本政府が移民政策を推し進めて、外国人がたくさん流入したとしたら。その2世3世が日本人としてこの国で暮らしたとしたら。社会が多様化して、日本固有の文化が次第に薄れていったら。日本人における大和民族の割合が50%を割る日がきたとしたら。その時になって、初めて日本人は今アメリカで起きていることを理解するのかもしれない。

 

そんな未来が訪れた時、今の日本人が持つ差別に対してのリテラシーの低さは本当に怖い。

既に、現在でもネット上にはヘイトが溢れてる。間違った愛国主義が吹き荒れている。そのことに嫌悪感を抱く自分の気持ちを大事に持っていないと、来るべき多様性を持った未来の社会で間違った判断をしてしまうかもしれない。常に自分の立場とは違う立場の視点も持ち、そしてそれを尊重する。そんな、もの凄く簡単なことにも気づけなくなる未来がくるかも知れない。恐ろしい。

 

と、そんなことをカレーを食べながら考える。

それにしても、カレーは平和だ。いろんな野菜や肉が鍋の中で一緒くたに煮込まれる。アメリカが「人種の坩堝」だとするなら、カレーは「食物の坩堝」だ。沢山の香辛料と時間を使って、様々な食材が調和のとれた味になるまで煮込まれる。

世界が美味しいカレーのようになれば良いと思う。

 

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日本スゴイ」のディストピア 戦時下自画自賛の系譜

「日本スゴイ」のディストピア 戦時下自画自賛の系譜 (朝日文庫)

「日本スゴイ」のディストピア 戦時下自画自賛の系譜 (朝日文庫)

 

今まで元号漢籍(中国の書籍)からの典拠だったわけだけど、安倍総理は早い段階から国書を典拠とする新元号を希望していたらしい。なんだかドキッとする。これも一種の「日本スゴイ」なのかもしれない。

 

この本は「日本スゴイ」という愛国心がどう戦争と結びついたのかを、膨大な資料をもとに考察していく本。というか、アホみたいな「日本スゴイ」言説に突っ込みを入れていく本。今こそ読むべき本だと思う。それにしてもこんな膨大な資料、どこで集めたんだろう。早川タダノリさんがスゴイ。