ハナムグリのように

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道路に見る国民性

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外国を歩いていると道路一本一本にちゃんと名前がついていることに驚かされる。
大通りは当然のこと、小さな路地に至るまでほとんど全ての道に名前が付いている。だから住所も「○○通の○番」で表記出来るし、説明も割と簡単だ。この通りを西に行って○○通りで右に折れて○番です、でOK。スマートだ。海外で偉人や有名人の名前をとった通り名が多いことに今まで疑問をもっていたけれど、なるほど、単純に通りが多過ぎて名前を必要としているんだなと想像がつく。
それに比べると日本はそうでも無い。京都みたいな例外はあれど、ほとんどの街では大きい主要道路くらいしか名前なんて付いてない。その代りと言えるかはさておき、日本では別のものに名前が付いている。それは交差点だ。住所の説明も、○○の交差点を左に折れて○本目の道を右に曲がって‥‥と交差点を起点としてその先はアバウト。複雑なうえに番地も順列に規則性が薄い。最終的には、3階建ての青色の建物です!みたいに説明は落ち着く。だから日本に来た外国人は混乱するらしい。なんてはっきりしない無秩序な住所表記なんだ、と。

どちらの表記が正解だと言う気はないけれど、これは国民性がでているなぁと思う。道に名前を付ける外国人。交差点に名前を付ける日本人。going my wayに自分を貫ぬく外国人と、他者との関わりの中で自分の位置を理解する日本人。面白い。きっとそれぞれの良さがあって、それぞれの国民性にきっとフィットしてるんだろうなぁ。なんてことを歩きながら考える。


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チェコオーストリアに行ってきた。
家族からは自分の生活を「旅行に行ってるか風邪ひいてるかだね」と言われたけど、いやいやそんなことはない。他にも色々やっている。歯医者行ったりとか。