音楽「共有」の時代に寄せて

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高置水槽の中でも球体のタイプだけに漂う、えも言われぬレトロフューチャー感がたまらない。

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起床。氷点下の朝。
ここしばらく風邪をひいてる。インフルエンザではなかったものの喉、鼻、咳、熱、さらには口内炎と諸症状のオンパレード。昨日になってようやく回復してきたのだけど、そんなときに明日(つまり今日)朝から歯医者の予約を入れていた事を思い出す。キャンセルしようにも日曜日だったので、諦めて今日は朝から歯医者。風邪はほぼ治っているから問題ないと思っていたものの、先生の抑える頰の下には口内炎が。わりと地獄。いい歳して泣きそうだ。
夜、ストリーミングサービスで音楽サーフィン。便利な時代ね。

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音楽が「所有」するものから「共有」するものへ変わるといわれて何年経つだろう。
2018年現在、定額制ストリーミングサービスに加入している人は僕の周りに限っていえばそこまで多いとは言えない。もちろん自分よりも若い世代になると加入者の割合はもっと高くなるだろうし、その割合いは今後増えていくことも容易に想像がつく。事実、最近ではシングルが数千枚売れたらトップ10に軽くチャートイン出来てしまうという。それくらいCDを買っている人は少ない。もはやCDなんてファンアイテムでしかないのかもしれない。
その一方で僕自身はCDやレコードといったメディアが好きだから今だに月に何枚もCDを買っていた。ストリーミングサービスはこれまでに買ってきたCDやレコードを否定されるようであまり好ましく思っていないというのが本音。それに、音楽そのものやアーティストへの影響も危惧する部分があるし。でも時代は流れる。このままじゃ時代についていけなくなってしまう恐怖も少し抱いている。それに周りにちらほら加入する人が増えてきたこともあって、この度、意を決して(そんなたいそうな話ではないか)ストリーミングサービスに加入する事にした。月額980円。安い輸入盤くらいの金額だ。
これが結構な衝撃だった。ある程度想定はしていたものの、実際使ってみると自分の中の価値観が大きく崩れていくのが分かった。あぁこりゃ音楽文化が変わっていくなぁ、と。CDが売れないのも当然。途端に自分の部屋のCDラックがものすごく滑稽なものに思えてしまう。すごい時代になったもんだ。いくつかの点でこれからの音楽は変わっていくに違いないと確信する。

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僕が中学生だった2000年頃、くるりを聴いている同級生なんて周りにいなかった。確か2ndの『図鑑』が出たあとで「ワンダーフォーゲル」や「ばらの花」がリリースされた頃。他にもキリンジスーパーカーナンバーガールだったりが後に名盤と評価される作品を次々にリリースしていて、振り返ってみると今とは比べ物にならないほど音楽シーンが盛り上がっていた時代だ。けれども、いくら音楽シーンが盛り上がっていたとはいえ中学生くらいではその手の音楽に触れている子は少なくて、僕がくるりが好きだと言っても共感してくれる子なんていなかった。ただ、その事には寂しさを感じつつも、一方で優越感を感じていたことも確かだ。この音楽を俺は理解しているんだぞ、こんなカッコいいアルバムを持っているんだぞ、と。足が速いよりも勉強が出来るよりも、最新のロックバンドのCDを持っていることの方がかっこいいと思っていた。3000円を握り締めて厳選したアルバムをタワレコへ買いに行って、買ったCDはブックレットを読みながら何回も繰り返し聴いていた思春気。ひとつのアルバム、アーティストへの思い入れが大きかった。その世代からすると、定額制ストリーミングサービスは今までの価値観を大きくひっくり返すような存在だと思う。
きっと今の中学生にとっては、スマートフォンの中で最新のヒット曲も通好みのロックバンドも50年前の隠れた名盤もすべてが等距離にあるはずだ。どんな音楽へも恐ろしいほど簡単にアクセス出来る。国も時代も関係が無い。聞こえは良いけれど、それは果してメリットだけなのかと疑問も産まれる。昔、小沢健二おしゃれカンケイに出演したときに「沢山の恋愛をしてしまうと、ひとつひとつの恋愛の価値が下がってしまう」なんてことを話していた。この状況はまさにそれで、当時の自分が抱いていたようなアルバムやアーティストに対しての気持ちは今では持ちづらくなっていると思う。ワンクリックで出会えるものに思い入れも何もない。この状況はライトユーザーこそ増えるものの、コアな音楽ファンを生み出しにくいはずだ。簡単にアクセスできるものにコアな文化は生まれない。苦労して探究して、そうして人はコアな部分に辿り着きハマっていく。そしてそんな人間が新しく音楽を作っていく。つまりこの情況は未来のミュージシャンの質にも影響する。これは間違いなく。
他にも変わっていくであろうことは沢山ある。たとえばアルバムの存在。ストリーミングサービスの仕組みでは、曲が一回再生される毎にその時のレートに応じて幾らかがレコード会社、アーティストへ支払われる事になる。ということを踏まえると、アルバムとしての作品作りをするよりも、バズって多くの人に再生して貰える一曲を作る方が間違いなくビジネスになる。曲単位でビジネスになる仕組み。その仕組みの中ではアルバムを作ったところで後半の曲の再生頻度は間違いなく少なくなるはずだ。ワンクリックで作品が聴けるということは、ワンクリックで他の作品へ移ることも可能という事。つまり数曲聴いて満足したら別の作品へ簡単に移る事ができてしまう。垂れ流して聴きたいのならば、それ用のプレイリストを各自で作れてしまう。結果、アルバムサイズで作品を作っても後半まで辿り着くことは多くない。実際、自分のiTunesを見てみてもアルバムの後半は再生回数が少なくなっている。再生されないということはつまりお金にならないという事だ。であればもっとコンパクトにシングルか5〜6曲くらいのミニアルバムにまとめた作品の方が効率が良いと判断されるだろう。つまり、60年代半ばから脈々と受け継がれてきたトータル性を持ったアルバム芸術が崩壊するかもしれない。アルバム単位では重宝される箸休め的な小品は無くなるかもしれない。

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と書いていて、あれ?と思う。なにやらネガティブな書き方をしてしまったけれど、こういった音楽の変化ってただの原点回帰なんじゃないか?

60年代に様々なロックバンドがアルバム単位での作品性を追求する以前、アルバムはシングルの寄せ集めでしかなかった。シングルの時代だ。思い返せば、アルバム単位での作品性を考え始めたのなんてたかだかここ50年くらいの話でしかない。さらに言えば、それ以前は多くの人にとって音楽はラジオから流れてくるものだった。それはむしろストリーミングサービスよりもライトな聴き方と言える。さらに遡ってみると、今から百数十年前にエジソンが蓄音機を発明するまで音楽はライブでしか存在しなかった。それこそ「所有」ではなく「共有」の時代。
音楽の進化はいつだって音楽メディアの変遷とともにあった。その時代のメディアに合わせた音楽が進化していく。ライブに適した音楽、ラジオに適した音楽、レコードに適した音楽、CDに適した音楽。あるいはウォークマンに適した音楽、iPodに適した音楽、そしてストリーミングに適した音楽へ。音楽とはそうやって進化していくもの。その変容に対して良い悪いの評価をするのはナンセンスな事なのかもしれない。CDやレコードが消えていくことに寂しさこそ感じても、何も危惧することはなくて、長い音楽史の中で見たらここ数十年の「所有」の時代がたまたま色濃かったなぁくらいの話。むしろここ数十年が異常だったと言えるのかもしれない。
結局、これからも音楽の進化は、エジソンが「メリーさんの羊」を吹き込んだあの瞬間から始まったビッグバンの中にある。そこからは抜け出せないし、きっと正解も間違いも無い。だから抗う事なく、その宇宙の広がりを楽しめば良いのかな、なんて思う。