ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

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焼き肉を食べに行きたいけれど、この街には一緒にご飯を食べてくれる知り合いが一人もいない。
もしかしたら独り焼き肉デビューのチャンスなのかもしれない。

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起床。なんだか前歯がむずがゆくて、こういうときは十中八九、風邪をひく。いやだなぁ。
出勤。就労。サクサクと働いているように見せかけてダラダラと働く手だてはないものか考えるも、良い案が浮かばず断念。髪型を七三にするというのが目下ベストの考えだけれども、それは現実的ではない。
後、メモ用紙に走り書きした自分の字が、父のそれにとてもよく似ている事に気付く。これは遺伝?と思うが、字の遺伝ってどういう事なんだろう。血による遺伝とは考えがたいし、だからといって環境による遺伝も違う気がする。そもそも字を決定する要因が分からない。「字の乱れは心の乱れ」と言うくらいだから、心なんだろうか。心の遺伝?ということは、父の心と僕の心は似ているのか?
昔は自分と父は全く違う種類の人間だと思っていたけれど、それが最近では、あれ、結構似ているなぁ、と思う事が多い。字が似ている事もそうだし、外見だって僕はやっぱり父の若い頃に似ている。そして僕は父の若い頃と同じように頑固で、偏屈で、不器用で、そして長田弘の詩なんかを読んでいる。
終業。帰宅。やりたいことが沢山あるのに、何にも手がつけられずに就寝。


起床。休日。まだ前歯がむずがゆい。熱はないようだけれど、体はだるい。
朝から部屋の掃除。使った物を元の場所に戻せない質なので(最低!)気を抜くとすぐにへ部屋が散らかってしまう。5月も後半になって今更だけれど、使った物を元の場所に戻す、というのが今年の目標。というか毎年それを心がけているんだけれど出来てない。頑張らなきゃ。
午後、食料品などを買いにスーパーへ。途中、急な雨が降り出してモスバーガーへ駆け込む。久々にモスで昼食。文庫本も何も持たずに出てきたので、手持ち無沙汰でボンヤリと窓の外を眺める。雨に濡れながら自転車で家路を急ぐ高校生。傘を忘れたお年寄り。などなど。 気が付くと、店員の女性が注文したバーガーをテーブルに持ってきていて、その事に少しビクッとした僕に「眠くなっちゃいました?」と笑いかける。 いや、別に。
帰宅。ここ数日、部屋のテレビが映らない。「電波が弱くて受信できません」と表示される。とりたてて困らないからそのままにしているけれど、人の喋り声が聞けなくなると孤独感は強い。

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長田弘 / 猫がゆく

猫がゆく―サラダの日々

猫がゆく―サラダの日々

街を歩く少女ジュジュとその飼い猫の物語。大人になってから読み返したのは初めてで、内容も全然覚えていないと思っていたのだけれど、いざ読み始めると数週間前に読んだ物語のように記憶が蘇ってきてビクッリした。
それにしても、この物語に出てくる猫は「うさぎ」という名前なのだけれど、偶然なのか、ここ数ヶ月の間に読んだ本の中のある本には「猫」と呼ばれる少年が出てきて(麦ふみクーツェ)、ある本には「うさぎ」という名の少年が出てきた(うさぎ!)。そしてこの本に出てくる猫は「うさぎ」と呼ばれている。まるで「少年」と「猫」と「うさぎ」は置き換えが可能な存在みたいだ。
だけれど、それって、ん?と思ってしまう。例えばウサギはプレイボーイのロゴにもなるように性欲の象徴のような扱いを受けることがある。けれども性欲は「少年」とはイメージが離れてしまう。そして猫は神話の世界ではしばし女性を意味することがある。エジプトには猫の頭をもつ女神がいるくらいだ(たしか)。これも「少年」とはイメージが離れてしまう。なんでだろうか。
こういう文章って推論があったうえで書くのが良いのだろうけれど、これはただの問題提起。「少年」と「猫」と「うさぎ」の関係。なんでだろうか。