ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

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取り込み忘れた洗濯物がすっかり冷たくなっていて、冬。

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二ヶ月ぶりに実家に帰った。とはいえバンドの練習のために地元へ帰省して深夜帰宅、次の日の夕方には新幹線に乗っていたのだから、まるで寝るために帰ったようなものだったけれど。
それにしても実家というのは良い。離れてみてようやく気がつく。帰る家があって、そこに家族がいる自分は本当に幸せ者なんだって。今更ながら。

こんなことを恥ずかし気もなく書いてしまえるのも歳のせいかもしれない。もしそうならば歳を取るのも悪くはないな、と思う。

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職場に持っていっているタンブラーの質がとても悪い。蓋をしっかり閉めていても傾けると溢れるし、ホットドリンクを入れてもすぐに冷める。そして飲むと空気穴から笛のようにピーと音が出る。もちろん毎度ではないけれどけっこう高い頻度で、しかもこれがものすごくマヌケな感じにピーと鳴る。これでは恥ずかしいから新しいのを買おうかとも思うのだけれど、そもそも節約の意味もあって持っているタンブラーを買い直すってのは本末転倒のような気がして、それはちょっとバカバカしい。だからといって使わなくなるのもただの無駄遣いに終わってしまう気がするし、ピーっと鳴り続けたまま使うのも恥ずかしい。どうしたものか。エコとか節約とかそういった胡散臭い言葉に惑わされて、そしてタンブラーを持ち歩くエコでスマートなサラリーマン像を素敵じゃないかと思い描いていた自分の浮ついた心が、結果的に僕を困らせている。あほらしい。そもそも空のペットボトルをタンブラー代わりに使えばそれで良かったのに。ほんとにアホらしい。「エコカーに買い替えよう」なんて宣伝文句くらいアホらしい。
既にある物を使い続けることがエコだというならわかる。それはたぶん正しい。けれど買い替えるってのはどう考えてもエコじゃない。エコカーに買い替えた場合、古くて捨てられた車は第三世界に流れて結局は今までと同じかそれ以上にエコではない働きをするだけだ。この世に車が一台増えるだけ。自分だけがエコっぽければOK、みたいな感覚だ。自分だけ良ければOKの考え方は、あるいはエコロジカルな思想から一番かけ離れたものなんじゃないのか。
でもきっとそんなことは誰でもわかってる。それでもエコに踊らされる。結局僕らはエコカー乗ってるエコな自分に酔いたい、タンブラー持ってるエコな自分に酔いたいだけなのかもしれない。やるせない。

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震災後「節電」という言葉が電化製品の広告にあふれた。電気を節約する、なんて本来ならば電化製品を作る会社からしたらネガティブな言葉だ。それなのにそれは瞬時に宣伝文句に変わる。金儲けにつなげる。「エコ」や「節水」なんて言葉もそうだ。
それの善し悪しはさておき、どんなにネガティブな要因からでも利益を生み出そうとする僕ら人間は、どこまでも品がなく強かな生き物だと思う。ちょっとやそっとのことでは負けない。めげない。地球がどんなになっても人間は滅びないんじゃないかと思ってしまう。

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先日、福嚴寺というお寺にテニスコーツとテープのライブを観に行った。とても素敵なライブだった。歌ってるときのさやさんはビックリしてしまうほど魅力的で、吸い込まれそうだった。