ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

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きっと今夜の雨が桜を散らしてしまう。

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今年の桜はやけに短く感じた。急に咲き出したと思ったら、ピークを過ぎてすぐに葉桜になってしまった。ちゃんと花見をする機会にも恵まれず桜が散ってしまうのは少しばかり寂しいし、悔しい。けれどもそんな短命さ、命の儚さみたいなものが、あるいは桜を美しくしている要因なのかもしれないとも思う。

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命の儚さが桜を美しくしていると書いてみてどこか違和感を感じてしまう。命の儚さとは「美しい」のだろうか?少なくとも今年、大規模な天災で万単位の人が亡くなったことを想うと命の儚さを「美しい」なんて言ってしまうのはちょっと違う気がする。時と場合によってはそうなのだろうけれど、今年に限って言えば命の儚さはただただ「残酷」だった。そこに美しさは感じられなかったし、もちろん感じたくもなかった。
そう考えると今年の桜は多くの人たちにとって、毎年観る桜とはどこか違うものだったのかもしれない。その儚さに美しさを感じることは出来なかったのだから。

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けれども、だ。
「桜の木の下には死体が埋まっている」と言ったのは梶井基次郎で、桜の異常なまでの美しさはその樹の下に死体が埋まっているからなのだと彼は考えた。彼の考え通り、死が桜を美しくする要因であるならば、今年の桜はやはり美しかったのかもしれない。それは命の儚さが残酷であるが故の、その対比としての美しさ。
だから、そう、きっとこれから東北で咲く桜は美しくなるに違いないし、そうであってほしい。
そう心から思う。