ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

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笑うことは人生を肯定すること


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東北地方太平洋沖地震が発生してから10日がたって、地震関連ニュース一色だったテレビや新聞でも少しずつバラエティや下らない三面記事を見かけるようになった。こうやって人の意識や記憶から震災の悲惨さが薄れていく。それは決して悪い事ではないし、むしろ当然であってある意味ではそうじゃなきゃいけない事なんだろうけれど、その事にどこか後ろめたさを感じてしまう今日このごろ。とくに僕の住む街ではスーパーに行けば食料品は好きなだけ手に入るし、毎日の仕事は何の滞りもなく進んでいくし、電力の心配も一切ない。その気になれば意識の中でなら震災をなかった事に出来そうな気がする。仕事場近くのゲームセンターはいつもと変わらない賑わいを見せている。それを見るたびに、やっぱりどこか歯痒さ、後ろめたさを感じてしまう。

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今日の新聞に避難所で大人たちの手伝いをする兄弟の写真が載っていた。二人とも小学生で両親はまだ見つかっていないという。それでも二人は笑顔だった。人は否定するとき笑顔にはならない。笑顔になるのは肯定するときだ。彼らはきっと肯定しているんだと思う。事実を。
否定をしているだけでは前に進めない事を僕たちは知っている。たぶんそれは経験的に。前に進むためには肯定しなきゃいけなくて、それは思っている以上に辛いという事も知っている。だから人は辛い事があると否定的になってしまう。でも子供にはそれを知る経験がなくて、それでも肯定しようと笑うのはきっと本能的なもの。本能で笑い、肯定し、前に進もうとする。頭で考えるよりももっと強い力。だからこそ、子供の笑顔にはパワーがある。
そんなことを新聞の写真を見ながら思った。

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起床。昼前。震災の影響で参加する予定だったイベントが中止になり一日ぽっかりと休日になる。だからといって何をするでもないので、ベッドの上でただただひたすらに、そして贅沢にまどろむ。読みかけの文庫本を読んだり、腹の上にMacBookを乗せてネットサーフィンをしたり。部屋のBGMは知り合いに渡すために作ったコンピCD。コリン・ブランストーンやケニー・ランキン、トッド・ラングレンなんかの70年代前半の楽曲を詰め込んだCDで我ながら最高にスウィートなコンピ。雨上がりの柔らかい光が差し込む部屋で音楽を聴きながら夢と現実を行ったり来たりする。何もやりたくないし何もやる必要がない贅沢なまどろみの時間、休日の融点。

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