ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

2月18日

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寒い。つい先日までは二月とは思えないほどの暖かさだったのに、ここ二日かそこらで急激に寒くなってきた。まるで思い出したように、本当の二月の姿を思い出したように寒波が攻めてきてる。そうそう、2月はこんなだった。なんて。

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起床。休日。晴れ。ベッドから抜け出してストーブのスイッチを入れてまたベッドに戻ってからの数分が好き。じわじわ暖かくなっていくあの感じ。こむら返りした筋肉が徐々に柔らかくなっていくあの感覚に似てる。
昼、支度をして外出。電車に乗って終点まで。この路線の一番最後、海の近くの駅まで。海岸線をぶらついて、久々にモスバーガーに入って、出てきた頃には夕暮れ。電車に揺られて家に戻る。
ひどくのんびりした、素敵な一日だった。

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ここ最近、無性に海へ行きたくなるときがある。海に行くと自分とそこから見える世界との関係が街にいるときとは絶対的に違う感じがしてそれが好きだから。自分がひどく無力な存在に感じられるのが好きだから。
いっても僕なんかは都市の生活者で、家やマンションやビルが密集したところで暮らしてるし、朝出勤してしまえば夜までずっと屋内にいる。そんな状況だと目に映るもの全てが自分から近いような気がして、いや、それは確かに近い位置にあるんだけれど、そういうのじゃなく自分の力でどうにかなりそうな近さにあるのが鬱陶しいというか窮屈と言うか、とにかくなんだか息苦しいような気分になる。例えば空を見上げたときに目に映るビルの窓ガラスだったりあるいは電線だったり、そんなものはその気になりさえすれば自分の手で壊すことが出来る。度胸や倫理的なことは別にしても目に映るものはだいたい自分の影響下にある。壊すことが出来る。もちろん、やっては駄目だけれど。それが海へ行くと目に映るのはだだっ広い海と空だけで、あとはたまに鳥が飛んでいるくらい。これはもう自分の力じゃどうすることも出来ない。どう頑張ったって波の向きを変えることは出来ないし、空の色も変えることが出来ない。自分の声ですら少しの反響もなく海の向こうへと消えていってしまう。圧倒的な無力感に包まれる。でもこれは焦燥へ繋がる無力感じゃなくて、心の底から納得できる、むしろ無力だからこそ全てを委ねて安心感が得られるような、そんな感覚。それが好きで僕は海へ行くんだと思う。赤ちゃんのような弱い存在になるために。


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