2月16日
日に何度も薬を飲んでいるせいか、常に視界がぼやけて、頭がとろりとし、瞳から入ってくる光の量はいつもの二倍くらいはあって、目に入るものすべてが一々美しかった。
晴れた平日の午後、嫌というほど光を取り込んだ電車の中。
そこは温室のような暖かさを持った、ようやく2月らしさを取り戻した世間とはまったくの別世界で、窓枠では幾つもの風景画がスライドショーを繰り返し、その寒々とした風景画と車内の過剰なまでにきいた暖房は僕にいわゆるところの‘体内回帰願望’というやつを覚えさせる。羊水に浮いているようなフワフワした感覚。僕はこの感覚を写真に収めようと思い、カメラを取り出すため鞄に手を入れたのだけど、デジカメを家においてきたことを思い出し、それにそもそもここは電車の中だから写真撮影なんてしていたら少し怪しく思われる、というかマナー違反だ、と気づいて、でも鞄に手を入れた手前何か取り出さなければカッコがつかないなと感じ、おもむろにリップクリームを取り出し、さりげなく(本当にさりげなく)口につけた。21歳の男としてはリップクリームを塗るときにできるだけさりげない動作をしたい。とくに人前ではね。ポリシーよ。でも羊水の中を泳いでいた僕は、きっと全然さりげなくない動きをしていたに違いなく、今思うとそれが少し恥ずかしい。羊水の中を泳いでいたんだからしょうがないか。
当然だけれど、そんな羊水を泳いでいるような感覚をもって合同会社説明会に出向いたところでまともに会社の説明を聞けるわけはなかった。 僕が一日を通して考えていたことは「右の瞼がぴくぴく痙攣しているなぁ」ぐらいの事。
帰りの電車の中では知人と一緒だったこともあり、やっと意識がはっきりしてきて、キャキャキャと煩い女子高生の集団に対して、まるでドブネズミだな、と悪態をつけるまでになっていたけれど(いや、実際には口にしていなく、思っただけ)、でも意識がはっきりした代わりに気だるさを覚えたので、家に着いたらまた薬を飲み(もちろん合法な風邪薬)、頭をトロリとさせた。
夜、気づいたら眠ってしまっていて、起きたら今日だった。