ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

三番目に斬られる男の吐露

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二月といったら普通は寒いもので、朝なんぞはそれこそハナムグリのように布団に潜って、起きるの嫌だなぁ、寒いの嫌だなぁ、なんて思いつつ二度寝をしてしまうわけだけど、今年の二月はどうしたことかあまり寒くない。だからハナムグリになることもなく平然と、あ、朝じゃん、起きなきゃ、とすんなり起きてしまって、それはそれでちょっと寂しく感じてしまう。二月の朝というのは、ぬくぬくと布団の中で、あと五秒たったら起きよう、なんて考えているのが風情があってよいと思う。 
寒ければ寒いで不平不満を言うくせに、暖かければ寂しいだなんて、ほんとに僕はふざけた生き物だなぁ。





話は変わるけど、最近の自分の腑抜け具合があまりにも過激、酷烈で、将来のことを考えると心中穏やかじゃいられない。就職活動も満足に行っていないし、このままじゃ人生の落伍者へ一直線だ。毎日、起きているのか寝ているのかが区別できないような意識の中で生活している。このままだと大変なことになりそう。
僕はこんなフーテン気質でいながらも、そのくせ考え方だけは意外と保守的で、大学卒業したら普通の会社に就職して35歳くらいまでには結婚して定年まで働いてその後は老後を楽しむ、といった人生を理想として生きている。
でも今日、父に「どうせお前は30になったら社長だろ」とか、姉に「え?でも(就職したとして)30歳になっても、その会社で働くの?」とか訳のわからない事を言われてしまって煩悶した。どうも彼らの中で同じ会社で働き続けるのは尋常な事ではないらしい。そりゃ、同じ会社で定年まで働くって考えると、それはちょっと吐き気のする話であることは確かだ。小学校6年間の同じ毎日の繰り返しですら億劫だったのに、それが定年までの40年間続くと考えると、それは吐き気を禁じえない。でも、吐き気を感じたって、終身雇用してもらえるのならそれはまともな人生を送れる補償になるから素敵なことなんじゃないか?とも思う。これをは甘んじているだけ?(何に?)
それにしても、父や姉は僕のことをどんな人間だと思っていたんだろう。若くして野心を抱き、独立するようなアクティブな男として見ていたんだろうか。残念だけど、僕はそういったタイプじゃない。もちろんそんな人生に憧れを持っていないかといったら嘘になるけど、僕にはそこまでの野心もないし、そもそもそんなことが出来る才能がない。そのことは僕自身が今まで生きてきて痛いほど理解している。だって僕は、時代劇で言うなら三番目くらいに斬られるタイプの人間だ。主人公と死闘を繰り広げるなんてことはないし、ましてや主人公になることなんて有り得ない。もちろん、この考え方が僕を三番目に斬られる脇役に貶めている要因のひとつであることは間違いないけど、それにしても、それにしても、、    あぁ言葉が続かないなぁ。 結局、僕は何が言いたい?
中学校の頃、同じクラスの女の子に「コンチは何をやっても中の上だよね」と言われたことがある。ちなみに「コンチ」ってのは僕のあだ名。 普通だったら「中の上」という微妙な評価に良い気はしないのかもしれないけど、このとき僕は不覚にも喜んでしまった。心底うれしかった。だって、僕は自分のことを「下の上」くらいと把握していたから「中の上」というのはかなりの褒め言葉だ。 
こんな些細な出来事が、未だに嬉しかった思い出として僕の心の中にあるのは、正直なさけないことだと思う。でもそのとき僕は実際に嬉しかったし、今言われたとしても中学生の頃と同じように喜ぶと思う。結局僕は「中の上」で喜んでしまうような人間だってこと。
なんだか自分を卑下するようなことばかり書いてきたけど、じゃあ、なんのために今、こんなことを書く必要があったんだろうか。そう考えたら、たぶん答えはひとつ。
僕はきっと心の奥では、三番目に斬られるであろう自分、同じ会社で定年まで働き続けるであろう自分、そんな自分から抜け出したいと思っているから。今まで卑下してきたのは、つまらない自分の人生をどうにか受け入れるため。俺なんかはこんな人生で充分でしょ、納得するため。そのために自分を蔑む。
さっきテレビをつけたら、「僕たちはこんな理由で会社を辞めた」といった特集がやっていた。なんだか気持ち悪くなって、すぐ消した。
つらいなぁ。 今はストーブを消して布団に潜っていたい。
明日の朝が寒ければいいのに。 そうなれば思う存分、布団に潜っていられる。
ハナムグリのように潜っていられる。