ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

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別段悲しくもないのに「悲しいわぁ、泣きたいわぁ」なんて嘯いて、それで悲しそうな音楽を聞いて本当に涙流して、スッキリしたって、なんだそれ。絶対地獄に落ちるわ。 


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使っているハンドクリームが残り僅かになってくると、それが無くなったときに備えて事前に新しいハンドクリームを購入しておく必要がある。‘事前に準備’というのが苦手な僕でもことにハンドクリームに関して言えばその辺りのことがしっかり出来ていて、毎回ハンドクリームを使い切る前に新品のハンドクリームをストックしておくことができる。ただし人間の性なのか新しいハンドクリームというのはすぐにでも使いたくなってしまい、とりわけ今までと違う種類のハンドクリームを買ってこようものなら、その新しいハンドクリームを使いたい欲が抑えられなくて、今まで使っていたハンドクリームを使い切る前に新しいハンドクリームへ乗り換えてしまう。そんなことだから僕の部屋には少しだけ残っているハンドクリームが三つ放置されてる。捨てようとも思ったのだけど少し残ってるから捨てるに捨てられない。かわいそうだなぁ、なんてことを考えてしまって、それなら使ってやれよと言われるだろうから言われる前に使ってみようと思ったんだけど、いやぁ駄目だ。これから風呂に入る予定だもの。
って、こんなくだらないこと書くためにブログというツールを使ってるなんて、ちょっと自分が理解できない。とか言いつつ自分は今までこんなくだらない内容ばかりを全世界に公開してきたわけだけど、だったらブログって何なの?っていう話さ。社会的に意味のあるものであったり特定の人に向けて情報を発信したものだったり同じ趣味や感性を持つ仲間を見つけるためだけのものが正しいブログのあり方なの?んなことはないわな。じゃぁブログとして意味のあるものって上記のようなブログ以外どんなものなのかって、そんなこと尋ねられたらそれはやっぱり文学として意味のあるブログでしょうと答えるよ。これはブログ全般的に言える話ね。まぁ文学としてって言うと語弊があるけど、つまり書き物のあり方として面白いってこと。一般人の書いた何の変哲も無い文章が、それが優れている優れていないに関わらずネット上にバーンと存在するってことが文学として(?)面白い。だって今まで僕たちが目にしてきた文章ってのは何かしら目的のある文筆家の書いた文章だけだったわけで、それがネットの普及によって「一億総文筆家時代」へと変化していったってこと。それって凄い。文学にとっての革命だと思う。この文章みたいな支離滅裂で主語述語の関係も成り立っていないような文章が万人の目に触れる機会があるってのは一昔前では考えられなかったわけで、そう考えるとブログなんてのは画期的で間違いなく革命。読む側にしても書く側にしても革命。誰でも書いたものを公開することが出来るって、それは表現の自由が認められた国にのみがなしえた革命。だから全てのブログには意味があってその存在が文学革命、さらには表現の自由、果ては民主主義。って意味わからん。すげー、ネット。
あーあ。あまりにも適当なことを書いてしまった。すいません。
反省の意味をこめて、ハンドクリームを塗ってから風呂に入ります。そして出てからまたハンドクリームを塗ります。