ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

改めてベトナム旅行

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また更新の間隔が。

前回の記事でベトナム旅行のことを書こうとしたのに書き終わってみたら旅行についてはほとんど、というか何一つ書いていなかった。だからそのうち書きたいなぁ、なんて思いつつ実はベトナムへ行く前に台湾へも行っていたからそれについても書きたいと思っていたのだけれど、さらに先日まではロンドンへ行っていたからもう以前の旅行について書くテンションじゃなくなってしまった。我ながら遊び呆けている気がする。
もういい歳になるけれど、改めて自分は自由に生きていると実感する。というか自由に生きさせてもらっている。感謝しなくちゃいけない。

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旅先で写真を沢山撮ろうと思い、旅行前に本革のカメラストラップを自作で作ったりして準備万端にしていたんだけれど、実際はあまり撮らなかった。
というのもベトナム旅行の際にカメラを首にぶら下げていると旅行者感があまりにも出てしまって、観光客相手の胡散臭いバイクタクシーに嫌という程声をかけられたから。観光客相手のバイクタクシーというのは本当に強かで、それ自体は悪いこととは思わないけれど(その社会での一つの生き方として尊重してる、一応)、そのしつこさがどうも僕は苦手だった。そもそも街を歩きたい僕からするとタクシーなんてのは全く不要。それにベトナムの交通事情でバイクに二人乗りするのは正直怖い。それなのに何度断ってもしつこく後を付いてきて、振り切ると「なんでやねん!」と捨て台詞を吐かれる始末。なんで怒鳴られなきゃいけないんだろう、と少し下地が沈み込んでしまう。それが本当に嫌だったからなるべく観光客感を出さないよう、声をかけられないよう、カメラはずっとカバンの中に入れていた。(あまり意味はなかったけれど)


ちなみにベトナムの交通事情を説明すると、これは多くのアジア諸国がそうであるように道路はバイク、スクーターの天国になっている。ホーチミン市だと大通りで車3に対して二輪車7くらいのイメージ。そしてその多くの2輪車が交通ルールを守らない。というかそもそも日本のようなルールがあるのかもわからない。警官が立っていようがその目の前で信号無視はするし、車線という概念もない。あまりに自由。急いでる二輪車は歩道に乗り上げて追い越していくから、歩道を歩いている時すら気を抜けない。それでも交通事故が多発しないのは一方通行が多いからなのかなぁ、なんてその場では感心していたけれど、帰国してから調べたらベトナムの交通事故死者率は日本の5倍もあった。そりゃそうだ。確かにベトナムにいた5日間で二輪車が転倒する瞬間も見たし、車のフロントがぺしゃんこに潰れている事故現場も見た。こんな街で二輪の二人乗りなんて出来ない。


話が逸れた。したかったのはカメラの話。
観光客感を出さないためにカメラはカバンの中に入れていたから写真はiPhoneを使って撮ることが多かった。で思ったのが、今更といえば今更な話だけれどiPhoneのカメラって性能が高い。画質もいいしピントや光度の調節も簡単だし、撮ってすぐトリミングや編集ができる。最高じゃないか、なんて思う一方でiPhoneで撮った写真の質感があんまり好きじゃないことにも気がつく。
ただこれだけ細かい調節もできるし、画像編集アプリが数多く出回っているんだから質感とか関係なくない?と思う人もいるだろうし、僕だってその考えで間違っていないと思っているけれど、やっぱりiPhoneで撮った写真というのは数々のフィルターアプリも含めて‘iPhoneの質感’を持っている。その質感があんまり好きじゃない。僕はカメラや写真に対して明るくないからうまくそれを表現する言葉が出ないけれど、なんとなくiPhoneっぽさというのはある。無駄に小綺麗な感じというか。これは多分音楽が好きな人にとっての、どのミキサー卓で録音されたか、どのアウトボードでコンプがかけられたか、みたいなことなんだと思う。素人的にはなんとなく違うだけなんだけれど、プロからしたら全然違う感じ。そしてこれは僕的にあまり嬉しいことじゃないけれど、そのiPhoneの質感が間違いなく今の時代のトーンになっている。
これだけ多くの人がTwitterInstagramをやっている世の中だと、人が目にする写真の多くはiPhoneで撮られた写真で、僕たちはそのトーンの中で暮らしていて、つまるところそれがこの時代のトーンなんだと思う。こういうトーンってその時代にいる時にはあまり気がつかなくて、時代が移り変わった時に気がつくことが多い。例えば写ルンです。あの質感は90年代のトーンだ。少なくとも90年代当時には写ルンです風に加工できる編集アプリが誕生するなんて夢にも思ってなかったし、写ルンですの質感にノスタルジーを感じるなんて想像してなかった。
そうやって僕たちはその時代のトーンのフィルターをかけることでノスタルジーを呼び起こそうとする。そう考えるとこれから何年も先に、撮った写真をiPhoneで写した風の加工をするアプリが誕生したり、音楽でいうならiTunesでMP3にエンコーディングした風のプラグインが誕生したりするのかもしれない。つまりAppleのトーンだ。そのアプリやプラグインを使って2010年代のトーンを思い出してノスタルジーに浸る未来がいつか来るのかもしれない。「このiPhone風アプリ、すごくレトロで良いよねー」とか言って。で、僕も今はあまり好きじゃないiPhoneの質感にノスタルジーを感じて、未来にはiPhoneの質感が好きになっているかもしれない。音楽もそう。「このMP3っぽい音質かっこいいなー」なんて言う日が来るのかもしれない。
いろいろと話がとっちらかってしまったけれど、つまりアップルって凄いなーって話。この文章もiMacで書いてる。