ハナムグリのように

日々のあわ 思ったこと、聴いた音楽や読んだ本のことなどを

“本場”への違和感 ジャパナイズドカレーの未来

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一、二年前からカレー屋に行った折にはGoogleマップ上でその店にチェックを入れるという作業をしている。別に評価するとかではなく、ただ自分で行ったことがわかるようにチェックするだけ。近所の店だと何度も通っているから総数的には多くはないけれど、それでも30軒近くのカレー屋がチェックされている。カレー通の人には遠く及ばないにしても、一般の平均よりは随分とカレー屋に足を運んでいる方だと思う。

 

そんな自分が行くカレー屋のほとんどは店員が外国人のナンで食べるタイプのカレー屋だ。だいたいネパール人が働いていて、店内にはチョモランマの写真なんかが飾ってあって、本日のカレーとAセットBセットCセットがあって、モチモチの大きいナン(僕はそれを食べるためにカレー屋に行っているようなものだ)が出てくるお店。今、全国どこの都市でも雨後の筍のごとく増えている“本場”のカレー屋さんだ。そのことを人に話すと「あぁ本格的なタイプのカレーだ、本場のやつね」なんて言われるから「そうそう本場やつ」と合わせて返答をするのだけれど、内心その「本場」という言葉に引っかかっている。

 

というのも、あまり知られていないことだけれど、実はインド人ってあまりナンを食べない。日本人的にはナン=本場というイメージが付いているけれど、本場インドにおいてナンは高級料理店で出てくる程度のもので、一般家庭で食べることは殆どない。南インドに至ってはナンを食べる文化がそもそもない。つまりインドカレーのお店でナンが出てくるのは本格的なんかでは全然なくて、あくまでもジャパナイズされたカレーの食べ方ってことになる。ラッシーも日本の店ではどこもヨーグルトを薄めたような飲みやすいものにジャパナイズされているけれど、本場のラッシーはとても不味いらしい。もっと言ってしまえば、本場インドに「カレー」という言葉はなくて、外国人がインドの煮込み料理を総じて「カレー」と英名で呼んでいるにすぎない。呼称のことまで踏まえると、僕たちの食べている「本場のカレー」って何の事なんだか本当によくわからない。

さらに言うと、日本にあるカレーの主流である「欧風カレー」もまた無茶苦茶な代物だ。そもそもヨーロッパに欧風カレーは存在しない。あくまでも日本独自のカレー。インドの煮込み料理を「カレー」と呼んだイギリス人がブリットナイズ(そんな言い方は絶対にしない)してブリティッシュカレーを作り出して、それが日本に伝わって、日本独自の進化を遂げたものがカレーライス、欧風カレーだ。

だからインドカレーも欧風カレーも全部ひっくるめてジャパナイズドカレーと言える。本場なんて存在しないし、そもそもインドカレーと言ったところで働いてる人の多くはネパール人だ。僕の住む名古屋は餡子やモーニングの文化があるけれど、以前行ったインドカレー屋さんではモーニングで餡子ナン(!)を提供するという、とんでもなくナゴヤナイズドしたカレー屋さんだった。もう本場がブレブレ。でもそれでいいと思う。

 

越境すると全てはナイズドする。音楽だってそうで、海外の音を真似たつもりが結果として日本のオリジナルになる、なんてことは当たり前の話。はっぴいえんどフリッパーズギターもそうだった。そういうものは新しくてオリジナリティがあって面白い。

だから、いわゆる“本場のカレー屋”が好きな僕はいっそのこと“本場”の冠を捨ててしまえば良いと思ってる。そうすることでナンで食べるカレーもラーメンやカレーライスのような国民食になれるんじゃないかと。現状でこそ“本場”は宣伝文句になるけれど、これだけインドカレー屋さんが増えてしまうと、数年後には“本場”であることに魅力は無くなって、いかにジャパナイズドできているかが生き残りのカギになるんじゃないかと思う。

これ、なかなか的を得ている考えな気がする。だから頑張れカレー屋さん。目指せ国民食。そうして、いつかコンビニで焼きたてのナンが購入できる日が来ますように!

自分はナンが好きだからたまにカレー屋さんへ行ってナンだけテイクアウトすることがあるんだけれど、あれ、ちょっと気まずいんだよな。コンビニで買えたらすごく助かるのにっていつも思う。

 

個人的ビートルズ史

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わかる人にはわかる道

 

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「音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成される」なんて話をよく耳にする。

なるほどなと感心してしまうのは、自分にとってのそれがビートルズだからだ。14歳、中学2年生の時に姉から借りたビートルズの『リボルバー』。あのアルバムを聴いて以来、今日に至るまで僕にとってビートルズは特別な存在であり続けているし、ポール・マッカートニーが来日したとなれば会場に足を運んで一緒に「ヘイ・ジュード」を合唱する。ナーナーナーナナナーナー。

歌いながら泣きそうになってる自分は19年前のビートルズを聴き始めたあの頃と何ら変わってないんだな、と毎度のように思う。

 

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1999年 姉から『リボルバー』を借りたことを皮切りにビートルズ、そして60年代の音楽にハマっていく。当時、奥田民生の手がけるPUFFYの楽曲がビートルズオマージュ全開だったり、映画では『バッファロー’66 』が流行っていたりして、思い返せば世間的に60年代リバイバルが来ていたのかもしれない。

 

2000年 英語の先生がビートルズ好きで、授業の教材としてビートルズの歌詞を扱う。他にもカーペンターズやマイケルジャクソンのドキュメンタリーを観せたりする先生で、今になって思えば風変わりな人だった。一度、ビートルズ及びメンバーのソロ曲のタイトルを3×3のマス目に生徒に書かせて、その表を使ってビンゴをするという、冷静に考えて全く英語の勉強にならない授業もあった。あれ、何だったんだろう。

 

2001年 ジョージ・ハリスンが亡くなる。

 

2002年 ポールが来日するも高2の財力では東京まで行けず断念。しかし、この年にベースを購入(ヘフナーではない)、同時に『ホワイトアルバム』のバンドスコアを買い、家でひとりポールのプレイをマネる。このとき選んだスコアが『ホワイトアルバム』だった事の賢明さに我ながら感心する。

 

2003年 クラスメイトとお遊びで組んだバンドで、まず何かカバーしようとなってビートルズの「ヘルプ!」をカバーする。ビートルズをほとんど知らない子もいたけれど、この曲は某テレビ番組のテーマ曲になっていたから認知度が高かった。

 

2004年 僕がビートルズ好きだと知った女の子に、当時話題になっていた『Let It Be... Naked』を貸して欲しいと頼まれる。しかし、貸しはするものの、そもそもオリジナルの『Let It Be』を聴いたことがないにも関わらず、ネイキッドを聴きたがるそのミーハーな感じにとても不快感を抱く。という面倒なビートルズ好き&乙女心の分からない男子高生感が炸裂する。

 

2008年 入社した会社の当時の上司がビートルズマニアで、しかもコピーバンドをやってベースを弾いている人だったので意気投合。入社したばかりなのに仕事の話は殆どした記憶がない。

 

2013年 ポールが11年ぶりの来日。東京ドームへ観に行く。感動。言葉にすると陳腐になってしまうけれど、本当に「ありがとう」という気持ちが心から溢れる。あなた(たち)が50年近く前に作り上げた音楽が今の僕を形成している。そのことに感謝の念でいっぱいになる。

 

2017年 ポール来日。頻繁に来るからレア感ないなぁと思いつつ、またもや東京ドームへ。いつでも同じことを思う。ありがとう。

 

同年 初めてのイギリス旅行。リヴァプールには行かなかったけれど、ロンドン市内の聖地を巡礼する。アップル社のあったビルやジョンとヨーコが初めて出会ったギャラリー、映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』のオープニングでジョージとリンゴが転んだ路地などを観て回る。もちろんアビーロードの横断歩道にも。知らない外国人にスマートフォン渡して写真を撮ってもらう事に若干の不安はあったけれど、実際現地に行ってみると写真を撮ってもらいたい人ばかりで安心。見ず知らずのカップルとお互いに写真を撮り合う。

 

同年 ビートルズが使用していたことで有名なギター、Epiphone Casino(別に高くはない)を購入。

 

2018年 ポールまた来日。昨年も観たし今回はいいかな、なんて思いつつも結局観にいく。本当にありがとうポール。76歳でアンコールまで水分すら取らずに歌い続けるあなたがもはや怖いよ。元気で何より。

 

 

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それにしても今回のライブで隣に席に座ってた女性(40歳くらい?)が面白い人だった。開演前から「楽しみですねぇ」とフランクに話しかけてきたから、拒む理由もないので合わせてお喋りをしていたんだけれど、そのフランクさが本当に強烈で、ライブが始まっても「わー次ブラッグバードですよー!」みたいな感じで話しかけて来るのは当然、やけにボディタッチをしてくる。さらにライブ中、自撮り写真の中に何故か僕を入れ込む。そして極め付けは僕の肩に肘を乗せながらライブ鑑賞するという、なかなかの距離感を持った人だった。周りから見たらカップルだと思われたかもしれないけれど、違う、僕はあの人の名前すら知らない。

男性として女性から触られるのは別に悪い気しないけれど、でもこれが男女逆だったら通報案件だよなぁ。面白い人だった。

大麻の話 ②

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ペルシャ猫を誰も知らない』というイランの音楽映画が好きだ。

西洋文化の規制が厳しいイランで、政府の監視を逃れながら音楽活動を続ける若者たちを描いた反体制的な青春映画。正直、この映画を観るまでイランでこんなにもポップミュージックが規制されてるなんて知らなかった。テヘランでは音源製作やライブはもちろん、練習してるだけでも通報されて警察が押しかけてくるんだからたまったもんじゃない。現代の日本で暮らす僕たちにはポップミュージックが規制されてる世の中なんて、ちょっと想像が出来ない。

とはいえ、思い返してみれば日本でも学校側が生徒に対してロックコンサートに行ってはダメだと指導していた過去がある。ちょうど今日、テレビでポール・マッカートニーが来日したニュースが流れていたけれど、彼がビートルズとして初めて来日した1966年当時ロックは不良の音楽とされていて、学校がビートルズのライブに行かないよう生徒に促していたのは有名な話。国による規制じゃないにしても、今になって考えたらあんなに愛や平和をポップに歌ってるビートルズを不良の音楽だとみなすなんて冗談にしか思えない。でも当時の大人は冗談でも嫌がらせでもなく、むしろ生徒への愛情からビートルズを否定していた。ロックミュージック=不良の音楽だと本気で信じていた。それが今では音楽の教科書に載ってるんだから、社会や人の持つ善悪の感覚って根拠がなくて浮動的なんだなとつくづく思う。

そういえばポールが80年にウィングスとして来日したときには大麻所持で逮捕されてたな。

 

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そう、それで大麻の話。

前回の記事(大麻の話 ① - ハナムグリのように)で大麻規制の歴史を書いてたのは、こんな歴史だから大麻解禁しようぜ、って話ではなくて、単純に大麻の歴史や現状に対する好奇心と、大麻を盲目的に批判する人への違和感からという所が大きい。

 

よく大麻解禁が議論されるときに「大麻が無害だろうと、わざわざ気持ち良くなる薬物を解禁する必要がない」と言う人がいて、まぁそういう人はアルコールやタバコなんかも嗜まない厳格な人なんだろうけれど、僕はわりと気持ち良くなるものは必要だと考えてしまうタイプだ。僕自身もアルコールやタバコを嗜まないけれど、人体に害がないのなら大麻の方がありがたいし、気持ち良くなるものはなるべくあった方がいい気がする。ロックミュージックとか。みんなそうだと思う。みんなそれに救われてるんじゃないかと思う。

 

ただ、染み付いた善悪の感覚がそれを許さないというのもよく理解できる。

 

例えば、僕の住んでいる地域では昔からゴミの分別がしっかり行われていたのだけれど、ある時から「コンセントの付いていない小型の電気製品」が「燃えるゴミ」に分別されるようになった。電卓とかの小型家電が燃えるゴミ。焼却施設の技術的な向上といった明確な理由があるとはいえ、染み付いた善悪の感覚でいうと電卓を燃えるゴミに捨てるのはやっぱり「悪」だ。電卓は絶対不燃ゴミだろと、当時はすごく違和感を感じた記憶がある。染み付いた善悪の感覚を覆すのはやっぱり抵抗がある。(まぁ今となっては何も気にせず燃えるゴミに入れているんだから、人の持つ善悪の感覚ってのは本当に危うい)

 

それで、善か悪かで言うのなら大麻に関する世間の認識は現状のところ「悪」だ。今後どうなるかわからないにしても今は「悪」だから大麻解禁の議論も結局「とにかく法律で禁止されるんだからダメなものはダメ」という結論に至ることが多いように思う。でもこれって実は一番怖いことなんじゃないか。

 

法律で禁止されているから吸っちゃダメ、というのはそれは当然。でも法律で規制されているから悪だと、そこで話が終わってしまう人は民主主義の外側にいる気がしてしまう。なぜなら法律は人が作ったものだから。決して天からのお告げじゃない。国民によって民主的に選ばれた議員が法を定める。この事に盲目的になって、法律だから絶対的に正しいと右に倣えをしてしまうのは民主主義を否定している気になってしまう。それは考えすぎなんだろうか。んー難しいところ。でも議論はしていかなきゃダメだと思う。それが民主主義。大麻が民主的にOKかどうかではなくて、議論をする事自体が民主的。

 

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大麻を通してアメリカの近代史から、リアルタイムで抱えているオピオイド問題、そして善悪の危うさや民主主義までも考えることができるんだから、大麻って本当に興味深い題材だ。これからも大麻に対する世間の動向を注意しなきゃいけない。

 

そういえばポール・マッカートニーってベジタリアンだった。きっと彼の中では肉よりも大麻の方が倫理的にOKに違いない。流石にこれは僕も共感できないな。大麻よりもジューシーな肉の方が絶対に良い。

(とか言いつつ来年には僕もベジタリアンになっているかもしれない。人の価値観なんて本当に危ういんだから)

 

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映画『ペルシャ猫を誰も知らない』予告編

音楽好きには間違いなく刺さる映画

 

大麻の話 ①

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プラハにて

 

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大麻を吸ってみたい。

なんて言っているとヤバい人だと思われるんだろうか。先日カナダで大麻が全面解禁されたこともあって、ニュースでも今までタブー視されていた大麻トークを耳にすることが多いから、もう問題発言と思う人も少ないかもしれない。でもどうなんだろう。わからないけれど僕は割と口にする。大麻吸ってみたい。

 

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とは言え、日本の法律ではまだ大麻は違法薬物だから僕は吸わないし、吸う気もないし、そもそも手に入れる方法も知らない。大麻が持つ人体へ害がアルコールやタバコよりもずっと低くて、それがカフェイン程度だという研究結果が出ていても、それが違法である限り吸わないと思う。

ただ、どうして今でも違法薬物なのかは気になるし、盲目的に「法律で決まってるからダメなものはダメなんだよ」とか「わざわざ気持ち良くなる物を解禁しなくてもいい」とか言う人への若干の違和感も感じている。

ということで最近大麻について色々とネットで検索している。パソコンの検索履歴だけ見たらなかなか危ない人だけれど、それでも大麻の歴史や大麻が規制されてきた流れを調べるのは面白い。偏りこそあるものの、まるで近代史の授業みたいだ。

 

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それにしても僕たちは大麻について詳しいことを知らない。

違法薬物だし大麻解禁を議論することもタブーとされてるから当然と言えば当然なのか。でも、かつて日本人は大麻と非常に密接な関係を築いていた。

神道では大麻(おおぬさ)や注連縄(しめなわ)などなど様々な神具に使用されてきたし、戦前までは教科書でも栽培方法が記載されていたほどで、麻は日本において重要な産業だった。1940年には農林省が麻の流通を統制する一元機関を設立したほどだ。大麻はとても身近な存在だった。それは国外においても同様で、19世紀までは世界にある繊維の3分の1は麻だったという。

それが大きく変化したのが20世紀に入ってから。日本では敗戦後の1948年、日本を占領統治したGHQが強制的に押し付けた大麻取締法の制定がターニングポイントで、それ以降大麻=麻薬といった認識が広まることになる。つまり大麻を悪とする考え方は70年前に突如として植え付けられた倫理観ってわけだ。

ちなみにそれまで日本では大麻は繊維素材や喘息の薬であって、吸引して気持ち良くなるなんて発想はなかった。それでもアメリカは大麻を吸引する事はもとより、栽培や所持も徹底的に処罰の対象とした。結果として日本の大麻産業は壊滅し、麻製品は姿を消すことになった。(日本で麻として流通している繊維のほとんどはリネンであって本来の大麻ではない)

 

ではどうしてそこまでしてアメリカは大麻取締法を制定させたのか。

それを考えるにはまずアメリカでの大麻の取り扱いを整理していく必要がある。

 

まず大麻の前に少し禁酒法の話。

アメリカでは1920年から1933年まで現代では悪法として名高い禁酒法が施行されていた。禁酒法を推し進めていたのは規律を重んじる敬虔なキリスト教保守派で、禁酒法は彼らのクリスチャニティーの押し付け的なものだった訳だけど、結局非合法な酒が出回ることによってギャングを巨大化させてしまい、あっけなく1933年に廃止となる。

そしてその4年後の1937年、アメリカの連邦法で大麻が違法とされる。アメリカ政府は『リーファー・マッドネス 麻薬中毒者の狂気』(1936年)という映画を作るなどして反マリファナキャンペーンを大々的に開始するのだけど、その目的の一つには禁酒法が廃止されたことによって仕事を失った警官に仕事を与える必要があったからだという(ほんとか?)

でも、さらに大事な理由は別にある。それは移民問題。当時のアメリカには安価な労働力としてメキシコ移民が増えていて、それがアメリカの雇用を不安定にしていた。メキシコ人は大麻をよく吸っていたから、大麻を規制することでメキシコ人を捕まえ排斥するという目的があった。大麻の取り締まりが禁酒法の代替と考えると、いかにもアメリカの保守系白人が考えそうな方法だ。実際、少量の所持でも終身刑になっていたというから白人の人種差別意識って怖い。

 

そんなこんなで10年後、第二次世界大戦も終わって日本を占領統治したGHQは自身のキリスト教的価値観、そして人種差別的偏見からくる大麻取締法を半ば強引に制定する。駐留するアメリカ兵がその辺に自生している大麻を吸わないためにも大麻取締法は早急に制定されたらしい。そして日本の麻産業は壊滅する。

 

さらにここで見え隠れしてくるのが石油利権の問題だ。

 

20世紀は石油の時代だと言われることがある。麻に替わってポリエステルやナイロンといった石油から作られる化学繊維が主流になって、さらに石油からはプラスチックが作られ、そこから数々の環境問題も生まれた。僕たちが飲んでいる西洋薬品もほとんどが石油から作られた化学合成品だし(知らなかった)、言わずもがな石油は数多の戦争を引き起こしてきた。間違いなく20世紀は石油に振り回されている。

そんな石油、石油業界が恐れているのが大麻なんだという。大麻は栽培も簡単で繊維として優れている上に、あまり知られていないけれどプラスチックを作ることもできる。もちろん天然由来だから環境に優しい。さらに医療大麻アルツハイマーうつ病、癲癇や気管支喘息など約250種類の疾患に効果があるとされる万能薬だ。そんな万能な大麻が石油に取って代わることを防ぐために、石油業界は圧力をかける。その結果として多くの国では大麻=麻薬の認識が定着して、日本をはじめとする多くの国で大麻は違法なまま、栽培や研究すらさせてもらえないのが現状だ。ってこれはどこまで本当の話なんだろう。

ちなみに史上最大の資産を持つ男と言われている石油王のジョン・ロックフェラー(-1937)はキリスト教保守派のバプテスト信者で、酒もタバコも嗜まなかったんだそう。きっと大麻も嫌いだったんだろうな。

 

石油業界の圧力もあって規制されてきた大麻だけれど、60年代に入るとリベラルな若者、つまりヒッピーの間で大麻は広がり始める。

ベトナム戦争反対を訴え、愛と平和を掲げる反体制的な若者を取り締まる目的で「War on Drugs」の名の下に大麻撲滅に乗り出したのが時のニクソン大統領。国にとって目障りな分子を大麻で取り締まるって、やってることが30年前と変わらないのが凄い。ただここで誤算が生まれる。

ニクソン大統領は大麻がいかに有害なのかという裏付けを得るために「マリファナ及び薬物乱用に関する全米委員会」(シーファ委員会)を開催したのだけれど、委員会が出した最終報告は「大麻の使用は、暴力的であれ、非暴力的であれ、犯罪の源とはならず、犯罪と関係することもない」というものだった。大誤算。ニクソン大統領は意に反した結果報告を受け取らなかったという。まるで子供。

 

それから40年近くが経った現在、アメリカではワシントン州をはじめとするいくつかの州で嗜好品としての大麻が合法になっている。その背景には税収源の確保や、麻薬カルテルの資金源を絶つ目的があるけれど、それって本当に禁酒法みたいだなと思う。歴史に学べてない。

 

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ちなみにこれはネットから拾った画像だけれど、左が大麻の解禁状況で真ん中が政党の勢力図、左がオピオイド鎮痛剤(オピオイド - Wikipedia)の処方箋発行数。比べてみると非常に似通っているのがわかる。トランプ支持の地域は保守的でキリスト福音派も多いから大麻の解禁が遅れてるわけだけれど、これを現在アメリカで大きな問題になっているオピオイド問題と絡めて考えると凄く興味深い。

オピオイドに苦しんで違法ドラッグに手を出してしまっている人ほど、本当は医療大麻や合法大麻救われる可能性があるのに

合法大麻は米国をオピオイド危機から救うか? 研究が可能性を示唆 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

そんな人(低賃金の労働者が多い)が住んでいる地域ほど保守的でトランプ大好きで大麻が解禁されてないという現状。なんとも世の中はうまくできてない。

 

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と、長々書いてしまったけれど、これってどこまで本当の話なのかよくわからない。石油業界の陰謀論とか。全部ネット情報だ。

でも大麻(そしてアメリカ)って本当に面白いなぁ。大麻を軸にアメリカの近代史を学ぶカリキュラムが組めそうな気がする。

 

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いや、違う、実は今日書きたかったことって本当はこんな話じゃない。

ただ今回は長くなってしまったから、続きはまた今度書こう。

蚊 本 鬼太郎

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夜中に電気を消すと蚊の飛ぶ音がする。

10月に入ったのに蚊だなんて、と思うも昼間の気温は30℃に達して全国各所で季節外れの真夏日。まぁ蚊が出るのも無理はないかと諦め気分で電気を点けても、蚊の気配はない。耳をすませど羽音は聞こえず。で、電気を消してしばらくするとまたブーン。慌てて電気をつけると気配は消えて、また静寂。そんな事を何度か繰り返してるうちに目は覚めてしまい、もうこの蚊は幽霊なんじゃないか、電気を点けると姿が見えなくなるのは幽霊だからなんじゃないか、と阿呆なことを考えているうちに、ふと昔そんな内容の短編小説を読んだことを思い出す。

 

夏のある夜、幽霊の出ると有名な旅館に行って怪奇現象を楽しみに待つも、結局朝になっても幽霊は出てこない。幽霊は見れないし蚊には刺されるし散々だよ、と旅館の女将に話すと女将は、やっぱり幽霊は出たじゃないか、と言う。ここら一帯は農薬の影響で蚊が出ないんだよ。

あぁ、確かにあんなに蚊に刺されたのに、刺された跡が一つもない。

 

という話。ただ、この話が誰の書いた短編なのか全く思い出せなくて、今度は蚊よりもその事が気になって眠れなくなる。こんな時はネットだ!と、Googleで調べてみると「蚊の幽霊」の関連ワードに『銀魂』が出てくる。いや銀魂は読んだ事ないぞ、違う違う。と色々ワードを取っ替え引っ替えして調べてみると、どうやら小松左京の『午後のブリッジ - 小松左京ショートショート全集〈5〉』に収録されている『幽霊』という短編に蚊の幽霊が出てくるらしいけれど、でもAmazonで表紙を見る限り『午後のブリッジ』も読んだ事ない。どういうことだ。

じゃ誰かからの又聞きなの?それとも小松左京の別の短編集にも収録されてるの?と気になり出したら止まらなくて、家にある小松左京を片っ端から引っ張り出して調べて見ると、あった。『一生に一度の月 - ショートショート傑作選』。これに『幽霊』が収録されていた。あースッキリしたー。

で、随分と遅い時間に就寝。 自分は時間を無駄にして生きていると思う。

 

朝になって目覚めると、足がかゆい。 あぁ、蚊のことをすっかり忘れてた。

しかも、どうやらあの蚊は幽霊じゃなかったらしい。

 

ちなみに、秋になっても生き残っている蚊のことを「哀蚊」と呼ぶんだそう。昔読んだ小説に書いてあった。

ん、あれは誰の小説だっけ。

 

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そういえば最近、本をあまり読んでいない。昔から読書家というわけでもなかったけれど、今に比べれば随分読んでたように思う。最近ではいわゆる「積ん読」が多くなって、読んでない本だけが無駄に溜まっていく。どうも読書に集中できない。

そんなこともあって近頃は漫画を読み始めてる。今は水木しげる先生の諸作を色々と。今まで知らなかったけれど『ゲゲゲの鬼太郎』って連載誌や時代によっていろいろなバージョンがあって凄く面白い。70年代後半に『週刊実話』で連載されていた『ゲゲゲの鬼太郎 - 青春時代』なんかは、鬼太郎はあんまり妖術を使わないし、話のタイトルも「チンポコ紛失の巻」とか結構ふざけてる。と思いきや中には社会風刺的な話もあったりするから油断できない。魅力的。これからしばらくは水木作品に取り憑かれてしまいそう。

 

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一生に一度の月 (1979年) (集英社文庫)
 
晩年 (角川文庫)

晩年 (角川文庫)

 

 

 

 

 

自然災害と神様の話

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9月になってから天気のせいか気圧のせいか、体も頭も動きが鈍い。
夜のランニングもサボり気味で、今月はまだ三回しか走っていない。一週間走っていないとランニングで使っているアプリからメールで届くフィットネスレポートに、大きく「今週はご一緒できませんでしたね!」と書かれてしまう。よく出来たアプリだ。思わず「ごめんーm(_ _)m 雨の日が多かったからどうしても。来週こそは一緒に!」なんて返信したくなる。恋愛の一歩手前な関係性が臭ってちょっと楽しい。
どうやら本当に頭が鈍ってる。

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それにしても自然災害が多い。
やれ地震だやれ台風だと、次から次に押し寄せてくる。国土面積からしても、これだけ自然災害が集中している国は珍しい。世界広しといえどもトップクラスなんじゃないかと思う。外国の人はきっと思うに違いない。どうしてこんな土地に住んでいるんだ、と。台風の進路や活断層マップを見てもこの国が地理的な欠陥を抱えているのは明白だ。でも、だからといってこの国を去ることができるかと問われれば、いや、それは無理。産土(うぶすな=生まれた土地のこと)ってそんな簡単に捨てられるものじゃない。
人類がアフリカで誕生したことを考えると、日本は長い旅の果てにたどり着いた安住の地だ。アフリカからユーラシア大陸に渡り、シルクロードを東の果てまで進んで、さらに海を渡った先の島、それが日本。そうやって安住の地を求めてたどり着いたこの場所が、こんなにも自然災害が多かったというのはちょっと残念な話でもある。その結果として日本人は自然と向き合って生きざるを得なかった。多くの日本人が持つ宗教観がヨーロッパのような唯一神的なものではなくて、自然宗教アニミズムの流れを持つ多神教的なものだというのも、つまりはそういう事なんだと思う。よく言われる、農耕民族だから〜、といった理由だって要は同じことだ。人類の旅の最後に行き場をなくした僕たちの祖先は、どんなに自然災害が多くてもこの土地を愛するしか道が無かった。この場所で畑を耕すしかなかった。

よく海外の映画や小説を読んでいると登場人物が気軽に住む場所を変えるので驚くときがある。ミュージシャンとかもそうだ。ニュージャージーからブルックリンみたいな引越しなら距離的にも意味合い的にも納得しやすいけれど、ニューヨークからパリだの、ロンドンからシドニーといった距離をさらりと引っ越してしまう。これって日本人には難しい感覚だと思う。

日本人は土地に執着が強い。それも自分が生まれた土地に。産土信仰というものがあるくらいだ。その背景には、行き場をなくした僕たちの祖先が自然災害と闘い、あるいは神として崇めてきた歴史がある。多くの命を奪う自然、そしてこの土地が、一方で日本人を作り上げて来たんだな、と、そんな当たり前のことを災害ニュースを見ながらぼんやり考える。

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言わずと知れたジブリの傑作アニメ『もののけ姫』の終盤、主人公アシタカがこんなセリフを言う。
「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。生と死と二つとも持っているもの」
この言葉が、今すんなりと腑に落ちる。キリストは救う者だけれど、シシ神は奪いもする。もちろんそこに正解、不正解はない。
ただ単純に、多くの日本人にとっての神の在り方としては、それが「自然」だということ。『もののけ姫』の海外評価があまり高くないのって、その辺りの感覚の違いなんだろうなぁ。

このブログについて

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台風の影響か久しぶりに涼しい夜。
この夏、僕の住む街では49日間も熱帯夜があったそうだ。
それって、つまりこの街は熱帯地域ってことじゃないのか。

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ここからはこのブログについての話。
興味あれば。

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はてなダイアリーが2019年の春をめどにサービスを終了するという。

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